旅情

デヴィッド・リーン、1955。16ミリカメラで、スタッフは4人で、俳優も数名。実際はそんなことはないと思うのだが、前半はそんなノリの映画だ。つまり一歩間違えばロメール的ヴァカンス映画。もちろんそうはなってはいない。それでも当時のハリウッド映画としては格段にフットワークが軽いし、レターサイズの画面は観光写真のようで映画にフィットしていた。ロメールとはちがい、この映画ではラブストーリーをこねくり回してメロドラマにしている。でもやはり前半の、キャサリン・ヘプバーン、ヴェニスに行く!という感じのテイストがたまらなく素敵だった。例えば『リオの男』ほどではないにしても、そういうロケーションの開放感が画面からビビッドに伝わってきた。恋愛映画としては中年女の孤独がヘプバーンの顔面から見事に浮かび上がっていて、それでオッケーという感じがした。実際のメロドラマはかなり真正面から描いていて、何かをきっかけにして何かが起こるとかいうことをあまりしない。恋愛にまつわる事柄に徹することでメロドラマとしての濃縮度は増している。最後で線路を曲げる演出はうまいなと思った。線路が曲がるということは、映画のラインから外れるわけで、最後の車窓からのヘプバーンは、ヴェニスのヘプバーンではなく、オハイオ州のヘプバーンのような気がしたのだ。ここでもヘプバーンは顔の演技だけですべてを語っている。登場は喜劇的だが、さすが大女優といった貫禄を見せて映画から去っていった。95点。

ランジェ公爵夫人

ジャック・リヴェット、2007。冒頭のシーンで提示される壁。それはカーテンであったり鉄格子であったりするのだが、この映画はジャンヌ・バリバールとギョーム・ドパルデューを隔ててしまう壁を見事に描いている。ショットもすごいがカットもすごい。特にシーン終わりのカッティングの絶妙な素早さ。さらには字幕を多用しており、それが入るタイミングもいいし、その字幕があらわす主に時の経過も映画のリズムを形作っている。ウィリアム・リュプチャンスキーのカメラは相変わらず素晴らしい。カメラワークも映っているものもすべていい。計算しつくされた人物の動きとカメラの動きの演出は見事としかいいようがない。音へのこだわりも尋常ではない。ドパルデューの足音やバリバールの歌とピアノを筆頭に、足音、馬車の音、鐘の音、扉の閉まる音などが、ただの音としてではなく演出として効果を発揮している。この映画は文豪バルザックの作品の映画化なのだが、映像演出や音声の演出は、当然ながら原作には同じ形で存在しない。だから映画とはなにか、映画の素晴らしさとはなにか、という疑問に対してこの映画はわかりやすくサンプルを提示してくれる。その洗練された映画技法は斬新ではないが新鮮味がある。そこはやはりリヴェットの演出力のたまものだと思うし、ヌーベルバーグ出身らしいプリミティブさをずっと持っているからだと思う。95点。

石の微笑

クロード・シャブロル、2004。この映画は話の展開がとても早いのだが、そのなかで見えてくるカメラワークや人物の動かし方にはうならされるばかりだ。特にその画面においてメインでない人物の動きなんて細かな演出が行き届いていて感心してしまった。テクニカルには、シンプルな演出の凄みを感じさせる素晴らしい映画になっている。内容のほうは、終わってみればブノワ・マジメルとローラ・スメットの危険な恋の関係は、マジメルが本当に殺したのか、とスメットに電話し、警察にタレ込む。ただそれだけの映画なのだが、マジメルはひたすら守られる。仕事は順調すぎるくらいだし、精神的に破滅してはいないし、ホームレスの殺人は別人だし、母の元カレの殺人もまた別人だ。マジメルは石像に守られているということになるのだろうか。石像は両親や家族を象徴していると思うのだが、それに対するだけの危なさをスメットが持っていたかどうかは疑わしい。それはリアルなスメットを知ってからのマジメルの行動を見ればわかる。一切泥沼にはまることがないのだ。つまりこの映画は、家族の日常のなかで起こる長男のラブサスペンスという感じになっていて、当然ラブサスペンスは外せないのだが家族のドラマも外せないのだ。とはいえ物語展開よりも映画技法のうまさが目立つ映画だとは思う。95点。

ファミリー・プロット

アルフレッド・ヒッチコック、1976。美男美女で魅せるのがヒッチコックのスタイルにもなっていると思うのだが、この映画では、はなからその気がない。得意のショッキングな映像演出の炸裂もほとんどなく、非常にユーモアあふれるチャーミングな映画になっている。正義と悪の構図は一応あるのだが、どちらも俗世のチンピラ風情をぬぐえない。そもそもこのふたつのカップルが並行して描かれながら、見事にひとつ物語になるという形を取りたがっているのだが、そこをヒッチコック得意の強引さでやっていてエレガントさがない。映画自体はゆっくり描いているからなのか、脚本がちゃんとしているからなのかわからないが、じっくり腰を据えて楽しめる映画になっている。この映画はアメリカ産のアメリカ映画なのだが、英国風のユーモアや気品を感じる。この映画がヒッチコックの遺作となるわけなのだが、遺作にふさわしすぎるラストがとても素敵だ。遺作じゃなかったらちょっとな、なんて思うのだが、遺作であれをヤラれたらかなわない。この映画はヒッチコックがやりたいことをやっている、もしくはやりたかったことをやっている感じが凄く伝わってきて嬉しくなってしまうような映画だ。冒頭の霊媒師のコメディでは乗り切れない感じがしたのだが、結局乗らされている自分に気がつく。歴史に残る名作とかでは決してないし、ヒッチコックのオススメ作品でもないのだが、ヒッチコックを一通り見てきてラストがこれというのは嬉しい意外性があった。95点。

ポエトリー アグネスの詩

イ・チャンドン、2010。この映画には素晴らしいところが多々ある。冒頭の反復のような形になるラストは圧倒的だ。全く休むことなく動きつづけるユン・ジョンヒは、どこで寝ているかさえ説明されない。そして認知症をわずらい、少女のような服を着て、喜怒哀楽も少なめだ。この現実世界では浮遊感すら感じるその存在感が、ラストの飛躍の必然性を高めているように思う。ユン・ジョンヒは主に詩と死にについて考えているのだが、それはずっと平行して語られている。それが最後になって融合するどころか、死んだアグネスまで憑依するかのようなラストは普通の物語よりも詩で語るにふさわしいエレガントさがあった。どこにでも出没しどこにでも足を踏み入れるユン・ジョンヒはこの映画の原動力として凄まじいパワーを持っていた。そのユン・ジョンヒをとらえるカメラがまた素晴らしい。ほぼ全編手持ちカメラでくたびれても歩を進めるユン・ジョンヒを的確にとらえていた。エキストラや偶然映り込んでいる人たちもいい感じだ。ラストのエレガントさに全部持っていかれた感があるのだが、ユン・ジョンヒの路頭の物語としても全編素晴らしいものになっている。疲弊しているような設定ながら、抜群の脚力で常に歩いている。そうやって引っ張ってくれる存在がいると映画について行くのも容易になる。だからこそ、その喪失がラストで起こると衝撃的なのだ。95点。

レディ・チャタレー

パスカル・フェラン、2006。小粋なスーパークローズアップが所々で効いている。あの森が二人だけの世界として設定される迅速さが素晴らしい。わずかに音がする森があり、そのなかの光を見事に取り入れる撮影も感動的だ。そしてセックスをしまくって愛を確かめ合うのだが、古典劇の定番、手紙によって状況に変化がもたらされる。たがいにちがう方向を向いてしまうと思いきや、ラストに樹の下で炸裂されるトークでは離れそうになったり近づきそうになったりしながら、結局全身全霊愛してますというオチになるのだが、その微妙なニュアンスを多々含む会話劇には圧倒させられた。ここでのカット割りも素晴らしい。主演のマリナ・ハンズの演技はとてもよかった。世間知らずのお嬢様ではないのに、例えばセックスは初めてのように見える。その何度もあるセックスシーンもマリナ・ハンズの表情が中心でありエロスをあまり感じさせない。晴天の雨のなか全裸で走り回るシーンでも、破天荒な感じはしない。純真なこころを持つかなり大人なレディという設定は常に保たれている。相手のジャン=ルイ・クロックも最後で告白があるのだが、マッチョなイメージをことごとく排している。これは女性が撮った映画というのも影響しているのかもしれないが、いやみったらしいメイドババアとか、人間扱いしない亭主とか、お得意のうわさ話とか、そういうのは出てこない。ひたすら優しさに満ち溢れた映画であり、森がその優しさを象徴している。素晴らしい森の映画だ。95点。

ローマ環状線、めぐりゆく人生たち

ジャンフランコ・ロージ、2013。ドキュメンタリー映画で初めてヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した作品。この肩書きがなければ、多くの大衆が見ることにはならなかったと思うし、実際多くの大衆が見るような作品ではないような気がする。昨今の新潮流ドキュメンタリーという感じではなく、アートフィルムという印象の映画だ。美的で詩的な映像がやたらと多く物語性も薄い。人物の描写も特徴的だ。カメラの存在を気にしないところまで深入りするのだが、いつも外からのショットや遠くからのショットを入れたがる。それによって人物は作為的にキャラクタライズされることなく存在している。これは演出としてそのようにしているのであって、演出力不足によって人物像が見にくくなっているわけではない。しかしその作風がおもしろいかといえば話は別だろう。この映画にはピンぼけやガラス越しのショットが多く見られ、雪のシーンでは音をかなり操作している。それらが映画全体に対して効力を発揮しているかどうかは疑問だ。独特の人物描写ですら、映画全体に対して効果を及ぼすには非力な気がする。とても抽象的な映画だからこそ、映画の時間をつないでくれる何かが必要だったと思う。この映画では環状線ゆえに環状するような形で人物が描かれている。つまりは反復されるのだが、効果的な反復とはなっていない。芸術性も娯楽性も中途半端な印象を受けた。90点。