幕末太陽傳

川島雄三、1957。魅せようとするには、総じてカメラが遠くにありすぎるショットが多いのだが、実際、そのカメラの距離によって魅力が減じている部分もあると思うのだが、フランキー堺だけはサイズなんぞお構いなしに華麗な舞を披露している。小沢昭一とフランキー堺の、華麗ではない舞と華麗な舞の両雄には目頭が熱くなった。左幸子と南田洋子は、左幸子が完勝しているように見える。まあ大掛かりな見せ場があるから救われている部分もある。石原裕次郎一派は、数十年前にこの作品を見たみたときよりもかなり出番が多く感じられた。フランキーとの絡みでは、最初に見たときには、ションベンでいっしょになる、という程度のものだったような気がしたのだ。それが全然違っていたのだ。石原裕次郎は悪くなかったが、石原裕次郎を語るのにこの作品を敢えて強調する必要もないような気がする。他出演作品をまったく見ていないので言えた口ではないのだが。遊郭を立派に作りすぎているためか、広々としたショットが多く、特に前方から一隊がドドドと押し寄せてくるなんてショットは待ち時間のようなものが多くなってしまっているような気がした。あとはフランキー堺に漂う死の臭い、あれはよくわかるような気がした。自分が死ぬとわかっているからこその人情味がでていたように見えた。ところどころで登場する大物俳優は素晴らしい仕事っぷりを見せてくれる。95点。

アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル

クレイグ・ギレスピー、2017。トーニャ・ハーディングの半生を描いた映画なのだが、アメリカ女子初のトリプルアクセル成功とか、ナンシー・ケリガン襲撃事件にはそれほど興味を持っているようには見えない。それよりはフギュアがアメリカで担っているものと、トーニャ・ハーディングのギャップが際立っており、トーニャは底辺のヒーローとして映っている。その割にはトーニャは強くない。そもそもフィギュアスケーターとしての彼女はあまり描かれることはない。それでもこの映画がすこぶるおもしろいのは、トーニャにはどうしようもなく染み付いてしまったシミがあり、強烈なファイティングスピリットがそれを助長するからだろう。そこにジ・アメリカンな底辺活劇を見出すことができ、それをおもしろがれるからアメリカの底辺描写も腐っちゃいないんだと思わされた。この映画は底辺のアメリカ人が、なかなかサクセスしないサクセスストーリーであり、だからこそ見る者は惹きつけられる。事実もフィンクションもこの映画にはあってないようなもので、本人が出ているのかどうかの描写も大胆かつ不明瞭だ。ニコラス・カラカトサニスのカメラとトーニャを演じるマーゴット・ロビーのコンビネーションは素晴らしかった。あとは全体のテンポがよくて飽きることなく見られた。95点。

ギャンブラー

ロバート・アルトマン、1971。レナード・コーエンが流れ、ヴィルモス・スィグモンドの暗い映像が渋みを増加し、物語は語られる。だがその物語からしてアルトマンらしく、明快に物が語られることはない。そもそも物語がほとんど語られていないといってもいいだろう。ニューシネマ以降的ともいえるウォーレン・ベイティとジュリー・クリスティの関係は明確に意図されたものであるのだが、他のキャラクターのあっけなさというのか無意味みたいなものは際立っていて、喧嘩になったり仲良くなったりしないところなんて、とてもアルトマンらしいと思った。街の隅々まですごく魅力的に映っていたし、突然あらわれる蒸気車?や、ただの風俗通いの遊び人キース・キャラダインの存在感と死。どれもこれも唐突で間抜けな感じでアルトマンらしい。見せ場はやはり終盤の雪のなかでの撃ち合いのシーンだろう。ここでも華麗な身のこなしからの迎撃なんてシーンはなく、ずるずると山場は展開していく。このシーンの雪はなんだか変な感じに映っていたのだが、それがまた独特の雰囲気を醸し出していた。他のアルトマン作品と比較してしまうと落ちる部分はあるのだが、これはこれで一種独特の魅力にあふれた映画だった。ただ邦題はまずい。絶対こんなタイトルつけねえよって見ながら思っていた。90点。

七人の無頼漢

バッド・ベティカー、1956。事件に巻き込まれて妻を殺された元保安官が復讐を企てる映画。アンドレ・バザンが絶賛したことでも有名な作品で、西部劇の隠れた傑作といえるだろう。映画は78分と短いのだが、そのなかに素晴らしい脚本と、素晴らしいカメラワークと、素晴らしい演技を見ることができる。特にカメラのウィリアム・H・クローシアによる、大胆なカッティングや躍動的な移動ショットが随所に見られる。役者では主演の元保安官ランドルフ・スコットはもちろん、リー・マーヴィンが本当に素晴らしく、あとは唯一の女性ゲイル・ラッセルもとてもよくって、みんな無駄のない渋い演技を見せてくれる。無駄のなさは映画全体にいえるのだが、脚本の無駄のなさがやはり際立っており、ストーリーも人物描写も本当に無駄がない。西部劇特有のヤバい空気は漂っているし、実際ほとんどは死んでしまうのだが、狙った感じのしない独特のユーモアが全編に漂っており、どこかほのぼのとしたところがあり、とても好感が持てた。ブルーレイを買ったので、何度も見られてるのはうれしい。95点。

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法

ショーン・ベイカー、2017。カラフルなゲットーにおける母子のストーリー。なぜカラフルなゲットーのかといえばディズニーワールドの周辺に位置しているからだ。この映画は母子の関係性よりも、子供たちの目線でストーリーが成り立っている。子供目線だから大概が曖昧に済まされて適当に時間が過ぎて去っていく。シーン割をとってみても唐突にバサリと切っちゃうし、散見される画へのこだわりも押し付けがましくはない。叙情性みたいなものはザックリ排除されている。つまり母子の愛や子供たちの友情には、見ていて感情が乗ることはない。そもそもアメリカってこんな国でしょう、と思うばかりだ。ウィレム・デフォーの存在は重要なのだが、その期待されるべき役割を半ば放棄しているようにも見えてしまう。でも他のキャラクターを維持させるという意味では一定の役割を演じている。それによってこの映画のゲットーにはある種の平和がもたらされているようにも見える。でも行政機関が実力行使に出ると当然ヤバい。そこで、だからこそミラクルが発生するのだが、そのミラクルがあまりにもマジカルでミステリーなエンディングになだれ込んでいったから、単純な感動と単純ではない感動が入り乱れ、すこぶる良いエンディングになっていった。95点。

太陽を盗んだ男

長谷川和彦、1979。理科教師の沢田研二が原爆を作って政府を脅迫する映画。しかし作るまではちゃんとしている感じなのだが、脅迫する段になってネタがないものだから、野球中継を延長しろだとか、ストーンズ呼べだとか、当時でいえば広島や長崎へと向かうはずの原爆のラインがあると思うのだが、この映画にはあんまりその気がない。今の視点で見ると、オウムの事件や311などによってよりこの映画は近しい存在になっているから時代を先取りしているともいえる。しかしなんだかとても不可解な映画だ。後半はもうド派手なエンタテインメントになっていて、撃たれても起き上がる不死身の刑事、菅原文太と、核抑止力によって守られているような沢田研二の闘いになる。どうもこの映画は『タクシー・ドライバー』に似たところがあって、沢田研二とデ・ニーロには似た部分がある。ただこちらのほうが圧倒的に滅茶苦茶だ。池上季実子はこの映画にふさわしいぶっ飛んだヒロインを好演していた。全体的にはちょっとだらだらした部分があって飽きがきた。尺が長めの映画で、少々無駄があるようにも感じた。この映画、良い無駄と悪い無駄の混在がやたらと激しいのだ。すべてを無駄とは思わず猛追して見ていけばこれは傑作となると思う。できればそういう見方をしたかったのだが、プツプツと集中が切れてしまった。95点。

天はすべて許し給う

ダグラス・サーク、1955。丁寧に作られたメロドラマの傑作。まずこのメロドラマの障害となるものが強固でありながら弱いというところが素晴らしい。やや地味な主演のふたり、ジェーン・ワイマンとロック・ハドソンに対して、助演の人物はほとんど描かれることもなく、しかしテーマには絡んでくるというその塩梅がすばらしい。例えばふたりは町の偏見と派手に戦うこともないし、子供たちはいかにも子供たちらしく自分のことしか考えていない。町と山小屋の対照も見事に描かれている。それがえげつないまでに際立つのはテレビの登場だろう。ただテレビも謙虚に描かれており、決して毒々しくは描かれていない。この映画は、色鮮やかな色彩感覚が素晴らしく、それに加えて照明も見事だ。メロドラマはこうでなくっちゃというやや大げさな色彩や照明が映画全体に溢れており、映画の印象を決定づけている。これは50年代ハリウッドの素晴らしい仕事と見るべきだろう。ロック・ハドソンはやや強引だが、謙虚さをわきまえていてとても好感が持てる。そして地味なおばさんジェーン・ワイマンが際立っていることは、ヒロインの描き方としてダグラス・サークの演出力を十分に堪能できるものになっている。100点。