GONIN サーガ

石井隆、2015。1995年に製作された前作『GONIN』から19年後という設定の続編。前作があるとは知らずに見たのだが、前作が記憶にあるかどうかで序盤の印象はかなり異なるだろう。前作を見た人には状況設定が親切に見えるだろうし、見ていない人にはかなり乱暴な状況設定に見える。でもこの乱暴な状況設定のわかりにくさは、細かいことは気にしない、というこの映画のスタンスを明確に示す重要な要素になっていて、実際この映画は脚本のディテールを問題としないケースがかなりある。台詞はなにを言っているのかわかりずらいし、誰が誰なのだかわからないシーンもある。終盤のシーンはフェードアウトが多く、背景に尺の問題を感じたりもする。画面に漂う時代遅れな感じはトレードマークにすらなっている。しかし、ところどころ目をつむれば相当におもしろい。香港ノワールもののような大胆なガンアクション。血しぶきではなく血煙が舞うなんてどうかしている。やたらと豪雨を振らせたがるし、バッサバッサとカーテンはゆれる。バディ・ムービーとしての序列が曖昧で、東出昌大は明らかに主役を剥奪されている。でも柄本佑のわけのわからない人物像は素晴らしかったし、土屋アンナは好みの女優ではないのだが、この映画では輝いていた。しかし、映画を見事に束ねているのは、なんといってもサイコなヒットマン竹中直人で、彼と絡むと皆が魅力的になっていた。序盤は苦しみそうな予感がしたのだが、最後まで一気に見られておもしろかった。95点。

15時17分、パリ行き

クリント・イーストウッド、2018。最近イーストウッドは実話に基づく映画を撮っている。そして英雄を取り上げることも多い。この映画もそういう映画だ。しかし、この映画がとりわけユニークなのは、英雄が極めて凡人であることだろう。しかもその実話の英雄たちを実際にキャスティングして撮っている。この映画に漂いつづける凡庸さは見事だ。特に3人組の学生時代や軍隊でのストーリーの凡庸さや、欧州旅行のパーフェクトな凡庸さ。しかし映画として見たときにこのような凡庸さを獲得している映画はあまりないのではないだろうか。えげつない描写がスタンダードになっている学校や軍隊。旅行にはトラブルがつきものだ。しかしこの映画にはそういう場面はない。そんな奴らが平俗な世界から突如としてテロを阻止する英雄になる。そこでもイーストウッドはアクションをリアルに、しかし活劇風であったりサスペンスフルに撮っている。宿命だとか運命だとか、そういった流れがイーストウッドの映画には常にあって、今回そこに乗っかるのは名もなき市井のちょいワル青年たちなのだ。それをフィクションやドキュメンタリーを超越したような、再現フィルムという形で構成している。決して饒舌な映画ではないのだが、後味の良いリアリスティックなヒーローモノになっている。95点。

リンダ リンダ リンダ

山下敦弘、2005。学園部活青春モノは数あれど、この映画ほどジャンルの定型に寄り添いながらもはぐらかし続ける映画はあまりない。この映画は学園祭の3日前から当日までの4人のバンド女子を追った青春映画だ。もちろん恋愛だって登場する。しかし、恋愛の扱いを見てもわかるように、3日間のあいだに起こるトラブルやアクシデントが、ことさらフィーチャーされることはない。ただ時間が流れ、バンド演奏の上達や焦燥感などには、あまり関心を示さない。それよりは、バンドの4人の青春というべきもの、あるいは構築される人間関係に焦点は当たっている。一般的な青春学園モノとはちがい、時間の流れそのものが、人間関係に微妙で些細な変化をもたらす。それが青春なんだとこの映画は語っているように見える。若者らしく、学園祭らしく、ほぼ徹夜で時間は経過するのだが、後半は眠気もあって白昼夢状態なる。ペ・ドゥナの夜の体育館、日本語と韓国語の会話、右手のプレゼントなどなど。終盤のあっさりとした学園到着に見られるように、白昼夢になってからは移動シーンが削られている。ここも時間の扱いとしては注目すべきだろう。冒頭のビデオカメラの秀逸な演出から、前田亜季のドリーで学園祭を見せる手際のよさ。タイトルやプールやペンキなどで見られるブルー、そして部室へと燦々と降り注ぐ陽光が印象的だった。十数年ぶりに見たのだが、あせてしまう部分の少ない映画だった。100点。

バスターのバラード

ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン、2018。この映画も先日見た『ROMA/ローマ』と同様にNetflix映画であり、ちょっとだけ劇場公開をして映画の体裁を保っている。6つの短編からなる西部劇で、悲哀とユーモアが満載という点ではコーエン兄弟らしいといえる。「死」がテーマになっているのだが、そこを真に受けてはいけなくて、常にブラックユーモアがあったりコントのような迅速さがある。映像が特に美しく、それは本物の自然の美しさであったり、光と影を用いた美しさであったり、おそらくCGをふんだんに使った美しさであったりする。「早とちりの娘」は自然の美しさがすさまじく、「遺骸」の人工的な光もまた美しかった。ただ、6つの短編で133分の長編映画として見せるのはちょっと長く感じた。この映画はもともと短編映画として企画がスタートし、いくつか書いていくうちに短編を連ねて長編映画にしようとしている。それを製作会社のアンナプルナに持っていったところ、ネットフリックス資本が入ってきたという流れがあるらしい。ネットフリックスでもこの短編をシリーズ化するとか、そういう話はあったのではないかと推測できる。おもしろかったのだが、見ながらネットショッピングをしてしまう体たらくで、緊張感を強いる映画ではなかった、と思う。90点。

ROMA/ローマ

アルフォンソ・キュアロン、2018。この映画はキュアロンの2001年作品『天国の口、終りの楽園。』の延長線上にあると思う。車、旅、海岸、男女、別れ、死、などが同じような雰囲気で描かれている。まずカメラと演者との距離をドカンと最初っから引き離してしまうのは『天国の口』も同じだったような気がする。この映画でいえばカメラのポジションと長回し。ジャ・ジャンクーみたいに映像に大陸的などっしり感がありながら、奥行きの演出美学は、演者の動きはミニ・ゲルマンか、映像美学はミニ・ストラーロか、というくらいに美しい。この映画は動作でつなぐカット割やアップのショットなどは皆無だ。会話におけるカットバックにもまったく興味がない。とても芸術的であり、イコール飽きさせるような演出になっているのだが、これが飽きさせないのだからすごい。この映画は家政婦の物語であり、映画は家政婦にいつも寄り添い、家政婦の知らないものを映画が知ることはない。それでいて家政婦も他の演者と同様に、遠くにほっぽり出されたような形で演出される。そんななかで描かれるのは主に男と女の物語だ。成人男性は徹底的に排除されているのだが、その不在が物を語り、車や破壊などは、男を示唆し意図的に強調している。忘れられないのが、水のモチーフ。冒頭の意味がしばらくしてわかるところや、ラスト近辺でも水とウンコが重要なモチーフになっている。あとは音。この映画は水の映画であり音の映画でもある。演者では婆さんと奥さんがすこぶるかっこよかった。100点。

この国の空

荒井晴彦、2015。戦時下の男と女の物語。戦時下という状況と、スタジオやロケセットの閉塞感が見事にマッチしており、特別な空間を生み出していた。大胆に時間を省略するシーン割に見られるように、ゆったりとした時の流れを作ることはしていない。それでいて演じられるドラマは性急なものではないため、空間と同様に時間の扱いもユニークなものになっている。水が重要なモチーフとして有効に機能しており、神社の水のシーンやラストシーンは特に印象深かった。おもしろいと思ったのは二階堂ふみの視点で映画が語られることだ。二階堂ふみは確固たる信念を持ってはおらず、一本筋は通っている感じなのだが、どことなくふわふわしている。あからさまな反戦メッセージなどを自ら発することもないし、あからさまではないエロスの発露もまた、自覚がないがゆえにふわふわとした魅力があった。長谷川博己との関係についても、感情を言葉にすることはほどんどない。ラストのストップモーションで二階堂ふみらしからぬ重要な意思を持った言葉が発せられ、エンドクレジットではその二階堂ふみが詩を朗読する。この構成もまた明瞭さを回避する意味でも、映画美学という点から見ても素晴らしいものがあった。戦時下という状況における市井の女のドラマが丹念に描き出されており、とても興味深い作品となっている。95点。

フラッシュバックメモリーズ 3D

松江哲明、2012。まず音楽が素晴らしい。この映画は尺が短いことや、音質がとてもいいこともあり、GOMA & The Jungle Rhythm Sectionのライブ映像として見ているだけでも飽なかった。その演奏の文字通りバックに、過去の映像や文字や絵やアニメーションが流れるというのが映画の基本的な構成になっている。記憶障害を抱えたGOMAの過去が現在のGOMAのバックで流れていくのだ。映画は障害の悲劇やそれを乗り越えようとする過酷なリハビリなどを映したりはしない。そもそも障害について語られるのはGOMAと妻の日記のみで、取材映像のようなものもない。なぜなら障害を乗り越える過程などは作品のテーマではないからだ。この映画は、過去と現在と未来を、GOMAという素材を活かしながら様々なアプローチで見せていき、将来への希望を提示している。将来への希望を抱くのは当然現在思うことであるから、ありきたりにいえば、この映画はマインドフルネス的な、いまこの瞬間を生きることのかけがえのなさを見せているのだ。映画でいえばライブが現在であるからライブが重要になる。そしてそれに答える充実のライブがある。しかし終盤にはライブの映像が過去を示すアニメーションで提示され、このライブ映像すら覚えていないとGOMAの日記は語る。過去も未来もない、現在しかないとまでは、この映画はいわない。しかし現在というものを、記憶や記録を手がかりに興味深い形で意識させてくれる映画だった。100点。