太陽を盗んだ男

長谷川和彦、1979。理科教師の沢田研二が原爆を作って政府を脅迫する映画。しかし作るまではちゃんとしている感じなのだが、脅迫する段になってネタがないものだから、野球中継を延長しろだとか、ストーンズ呼べだとか、当時でいえば広島や長崎へと向かうはずの原爆のラインがあると思うのだが、この映画にはあんまりその気がない。今の視点で見ると、オウムの事件や311などによってよりこの映画は近しい存在になっているから時代を先取りしているともいえる。しかしなんだかとても不可解な映画だ。後半はもうド派手なエンタテインメントになっていて、撃たれても起き上がる不死身の刑事、菅原文太と、核抑止力によって守られているような沢田研二の闘いになる。どうもこの映画は『タクシー・ドライバー』に似たところがあって、沢田研二とデ・ニーロには似た部分がある。ただこちらのほうが圧倒的に滅茶苦茶だ。池上季実子はこの映画にふさわしいぶっ飛んだヒロインを好演していた。全体的にはちょっとだらだらした部分があって飽きがきた。尺が長めの映画で、少々無駄があるようにも感じた。この映画、良い無駄と悪い無駄の混在がやたらと激しいのだ。すべてを無駄とは思わず猛追して見ていけばこれは傑作となると思う。できればそういう見方をしたかったのだが、プツプツと集中が切れてしまった。95点。

天はすべて許し給う

ダグラス・サーク、1955。丁寧に作られたメロドラマの傑作。まずこのメロドラマの障害となるものが強固でありながら弱いというところが素晴らしい。やや地味な主演のふたり、ジェーン・ワイマンとロック・ハドソンに対して、助演の人物はほとんど描かれることもなく、しかしテーマには絡んでくるというその塩梅がすばらしい。例えばふたりは町の偏見と派手に戦うこともないし、子供たちはいかにも子供たちらしく自分のことしか考えていない。町と山小屋の対照も見事に描かれている。それがえげつないまでに際立つのはテレビの登場だろう。ただテレビも謙虚に描かれており、決して毒々しくは描かれていない。この映画は、色鮮やかな色彩感覚が素晴らしく、それに加えて照明も見事だ。メロドラマはこうでなくっちゃというやや大げさな色彩や照明が映画全体に溢れており、映画の印象を決定づけている。これは50年代ハリウッドの素晴らしい仕事と見るべきだろう。ロック・ハドソンはやや強引だが、謙虚さをわきまえていてとても好感が持てる。そして地味なおばさんジェーン・ワイマンが際立っていることは、ヒロインの描き方としてダグラス・サークの演出力を十分に堪能できるものになっている。100点。

絞殺魔

リチャード・フライシャー、1968。1962-64年にかけて起こった「ボストン絞殺魔事件」の映画化。ドキュメンタリーな雰囲気もある映画なのだが、映像の切り口をたくさん持っていて、まず驚かされるのが画面を複数に分割させることだ。これで音楽が入ってこればいかにも60-70年代的なムードも出ようものだが、この映画ではほとんど音楽を使っていない。それゆえに画面分割はポップな演出というありきたりな描写に陥ることがない。そして映画は中盤になって、犯人(実際には冤罪説もあるらしいが)トニー・カーティスが登場する。トニー・カーティスはまもなく逮捕されるのだが、病的な二重人格的者であり、物証もないため自白がないと裁けない。そこで映画はトニー・カーティスとヘンリー・フォンダのぶつかり稽古の様相を呈していくことになる。トニー・カーティスのフラッシュバックを引き出す中で、ヘンリー・フォンダがフラッシュバックに登場したり、鏡まみれの演出なども効果的だ。ただ、誰も悪巧みをしていないギリギリの張り詰めた空気は見ていてしびれた。そしてある瞬間から犯人は無言になる。このときカメラは動く犯人の動作は捉えず顔面のみをひたすら活写する。その強烈な画面から、そのまま映画はエンディングへと向かう。終盤はとても見ごたえがあった。100点。

影の軍隊

ジャン=ピエール・メルヴィル、1969。ナチスドイツ占領下のフランスでのレジスタンスを描いた物語。かなり陰鬱な映画になっている。青を貴重とした冷たい映像と、抑制された演出によって、一気に見せてしまうのはさすがメルヴィルといったところ。人の移動もやたらと多くて画面が止まることがあまりない。ただリノ・ヴァンチュラの存在感のなさはなんなのだろう。原作モノだからそうなってしまうのだろうか。シモーヌ・シニョレが爆発的な存在感だったたため、そのアンバランスさがどうにも気になった。もしかしたらレジスタンスにヒーローなどいないのだという象徴としてのリノ・ヴァンチュラということなのかもしれない。実際のところ、いかにもレジスタンス、いかにもナチ、といったカリカチュア的な描写はこの映画にはほとんど存在しない。レジスタンス映画に発生しやすい、スリルやサスペンスもあまり発動することがない。そして銃撃戦などのアクションの少なさ。この映画は移動に次ぐ移動で成り立っているのだが、それがアクションの軸になっている。すべての人間がやたらと動いている姿は、世界が青いことと同じように映画のテイストを決定づけている。ピエール・ロムによる撮影は素晴らしかったのだが、欲をいえばアンリ・ドカエの撮影でも見たかった。ありえないことだけれど、メルヴィルのファンはついついドカエの画を空想してしまう。95点。

エル・ドラド

ハワード・ホークス、1966。エル・ドラドに戻ったガンマンのジョン・ウェインは、土地の利権をめぐる対立の一方に雇われようとするのだが、旧友の保安官、ロバート・ミッチャムによって反対側につく。そんな状況でのマッチョなアクション西部劇。この映画はとにかくロバート・ミッチャムが素晴らしい。マトモなのは冒頭だけで、あとはアル中か、酒の飲めないアル中なのだが、当然ギリギリ戦えるところをちゃんとキープしていて、ダメな部分もいい部分も見せ場があってかっこいい。それに比べるとジョン・ウェインはおとなしめだ。そうはいっても半身麻痺状態で敵の根城を正面からひとり乗り込んだりして無茶をかなりやる。この映画はジョン・ウェイン、ロバート・ミッチャムが主役で、ジョン・ウェインが拾った若者ジェームズ・カーンとロバート・ミッチャムの部下の爺さんの4人組で戦う。道を隔ててジョン・ウェインとロバート・ミッチャム、ジョン・ウェインとジェームズ・カーンが歩き、それをトラッキングするショットがある。その類似と反復はすばらしく美しかった。ひたすらバックするジョン・ウェインの馬もかなり迫力があった。最近見た『リオ・ブラボー』と比べると、いくぶん娯楽的、大衆的になったような気がする。ユーモアもふんだんに取り入れられている。95点。

マッドマックス 怒りのデス・ロード

ジョージ・ミラー 、2015。人気アクション・シリーズの30年ぶりとなる第4弾。この映画は2010年代を代表する映画であると思う。初っ端から説明不足のままアクションが咲き乱れる。そしてそのテンションを最後まで維持してしまう。ただこの映画の感想などを見聞きしているとなぜここまで人を熱くするかという感じでちょっと引いてしまう。そもそもこの映画、間違えて二回見てしまった。すぐに気がついたけれど、衝撃を食らった映画なら間違えて見たりはしない。個人的にはよくできたノンストップ娯楽アクションという印象だった。映画はアクションだ、という意味では、この映画は見事なアクションを見せてくれる。アクション一発でここまで見せるのはすごいことだし、物語構成も見事だ。タイトな描写によって物語をアクションへと落とし込むことに成功しており、人物設定が浮かび上がってくる。ただ、この映画は、ゲームとかミュージカルなどと同じような世界を持つに至っていて、そういうところに入っていけない場合は置いてきぼりを食ったような気になってしまう。主演はマックスことトム・ハーディではなく、シャーリーズ・セロンになっている。この映画にはダントツのトップスターがいないからこそ、一人ひとり演者が素晴らしく際立っている。二度目は一度目よりは楽しめたような気がする。90点。

顔たち、ところどころ

アニエス・ヴァルダ、JR、2017。アニエス・ヴァルダとグラフィティアーティストのJRのふたりが名もなき人々を素材にした巨大ポートレートを作りながらフランスの田舎町を旅するロードムービー的なドキュメンタリー映画。まず、JRの優しさとヴァルダの持つ軽やかさが映画全体を覆っている。まるでエッセイのような映画だ。ふたりが放つ独特の空気感があり、飄々としていて、やさしくて温かい雰囲気に満ち溢れている。そこは他の映画とは決定的に異なる部分で、この映画の最大の魅力といえるだろう。田舎の名もなき人々である被写体を浮き上がらせるのは、まずJRの作品があって、それとヴァルダらしい洞察力のある人間観察というものがあるのだが、それは分業ではなく共同作業によって生み出されている。しかし共同作業であることをあえて強調もしないから、あまり意識することもない。ドラマが少ないとは思うのだが、それでもアンリ・カルティエ=ブレッソンの墓参りや、一夜にして消えた海辺のギイ・ブルダンの写真などはインパクトがあった。ルーブル美術館でのゴダールへのオマージュがあり、JRはゴダールの類似としても描かれ、最後にゴダールに会いに行くのだが、そこはさすがにハラハラする展開が見られた。なにはともあれこの映画の雰囲気、そしてヴァルダが醸し出す雰囲気は、とてもチャーミングで幸せな気分にさせられた。95点。