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山下敦弘、2011。非常識的な山下節を楽しもうと思ってこの映画を見ても、それは原作とビッグバジェットの中に埋もれてしまって見つけることは出来ない。ただ、山本剛史の好演は、存在しているだけで冗談とも言える馬鹿馬鹿しさがあり、そのフェイク感は松山ケンイチのフェイクな感覚と一致する。そして妻夫木はフェイクな立場としてどやで働いたりしている新聞屋である。そんな本物になれないというもどかしさを持った二人が出会うことによってこの映画は始まりを迎える。それにしてもそれまでのドラマのくだらなさと言ったら無かったね。多分妻夫木の部屋で妻夫木と松山の長回しからのカットバックを連続するのシーンは映画が30分くらい経過していたと思う。異常に遅い立ち上がりを見せたから結局無駄に長い映画になってしまった。この映画は『ノルウェイの森』よりも長いんだよ。ノルウェイの森は自然というロケーションがあったからリー・ピンビンの神業レベルの撮影が素晴らしかったけれど、この映画は自然があるところに行かないから必然的にロケーションは使えない。屋内での撮影が多すぎて近藤龍人特有のロケーション撮影は見られず残念。その上、後処理か何かよく分からないけれど、あの頃の映像の色合いを作っていて、それは好きでは無かったね。リー・サンイルは『69』作ったけれど時代なんてすっ飛ばしていた。僕はああいう挑発的な映像作りの方が好きだね。この映画は映像も、シナリオも、役者も、全てが真面目すぎる。山下得意のダメ人間物語としてこの映画を見ることも出来るけれど、そんなの重要な問題では無い。山本剛史の持っていた馬鹿馬鹿しさ、これは殆どの登場人物が持っているものであるはずだし、そのような演出が多々見られるんだけれど、効果を発揮していない。妻夫木と松山の話に戻すと、フェイクな人間妻夫木が、フェイクな人間からリアルな人間になろうとしている松山に、ある特別な思いを持った。でもリアルマンになるための活動で決定的なミスを犯し、2人の間には齟齬が生まれた。そして妻夫木は事件にちょろっと絡んでいるから新聞屋を懲戒解雇されて逮捕。今までの伏線からエンディングは見え見えなんだけれど、素晴らしい。あとはミトのベースは映画の可能性を感じたね。山下はジェームズ・イハとかレイ・ハラカミとか、音楽担当に恵まれすぎている。みんな素晴らしい仕事をしていた。