アリラン

キム・ギドク、2011。映画が撮れない撮れないと言いながら映画を撮っている映画。登場人物に興味が持てなかったから、あれだけベラベラと長時間喋られたのには参った。喫茶店とかで厄介な知人に会い、そいつがべらぼうに喋るやつで、こいつ話に終わりは来るんだろうかと思いながら聞いているような、そんな日常にある拷問を思い出した。それが映画の半分以上を占めているからどうしようもない。本人の人生観映画観としてのサディズムマゾヒズム自虐ってのはこの映画でもよく表現できていたと思う。したたかな演出も多々見られた。だからこの映画は正しくキム・ギドクの映画だと言える。僕はWOWOWで放送されたらしきものを見たんだけど、映画が終わった直後にまたキム・ギドクが出てきて「WOWOWをご覧のみなさ~んアニョハセヨ~。この映画は僕が一番苦しかったときの映画だよ〜。映画を撮ることで癒やされたんだ。だからこの映画を見て癒やされる人がいたら嬉しいな。じゃあね~」みたいな感じで割り込んでくる。僕は映画監督が己の映画について語るのは別に構わないんだけど、映画と抱き合わせで語るのは許せない。例えばハネケの過去作DVD化は全部ハネケの解説付きで仰天した。客の邪魔すんじゃねえよって腹が立ってTSUTAYAのディスクを粉砕したのを思い出した。だからこの映画でも最後にひどい目に遭ったからディスクを粉砕した。90点。