夏時間の庭

オリヴィエ・アサイヤス、2008。カメラも人もいつも動いている。車の運転まで動きを強調したのか荒々しい。しかし、せわしない感じはしないし、カメラワークは絶妙である。3兄弟のなかで、長男はロマンチストであり、他はリアリストなのだが、長男はそのロマンチシズムを行動で示すことはない。何も変わらないことを望み、思い出を消されたくないだけのようにも見える。それへの現代社会的な対比として他の兄弟は存在する。中盤の遺産相続関連のくだりは少し退屈した。注目すべきは、長男が頭のなかで考えているようなことを、生理的な行動によって具現化してしまう人たちである。それは、家政婦であり、長男の娘である。ふたりによって映画は豊かなものになる。家政婦は高級な花瓶に花をいけるし、長男の娘はラストで売ることになった家でパーティーをする。使ってなんぼのものを、使ってなんぼと思わずに使うのだ。ラストシーンの前には、家政婦が家のなかを、外からぐるりと回りながら眺める長回しがある。このシーンで母と家政婦がリンクされ、ラストシーンの長男の娘へと引き渡される。ラストシーンでは冒頭のシーンを反復させることで、時間の経過をあらわしている。長男の娘は、その行動のすべて、見るものすべてがリアルであるからこそ、それがなくなってしまうことをリアルに感じて涙する。この母親、家政婦、長男の娘という、時間の経過を伴うバトンタッチによって、最後に過去から未来へと映画のベクトルが変わるさまは清々しかった。95点。