現金に手を出すな

ジャック・ベッケル、1954。抑制された演出が素晴らしい。例えば、ジャン・ギャバン演じるマックスと女が会うシーン。抱擁からベッドルームの扉を開け、ふたりが扉のむこうへゆくと扉が閉まる。このわずか数分間のシーンは音楽のみで台詞はない。わずかな行動と、それを助長する絶妙なショットの構成によって語られる。そしてこの映画で多用される扉が、次のシーンの幕を開ける。この映画では登場人物がほとんど語られない。マックスの相棒リトンだけは、マックスの語りによって明示される。マックスは、ダメな相棒リトンと20年も組んでいることのみが語られるが、それで十分である。そのことがこの映画の因果と密接につながっている。台詞も注目すべきだろう。最小限の台詞が語られる。しかし必要最小限の台詞が語られるというわけでもない。必要ではない台詞が最小限の会話のはじばしに含まれているのだ。それは男同士の友情や親子関係ではよくあることだと思う。その最小限の台詞によってベッケルは男と男の関係性を見事に描いている。マックスとピエロの関係性は典型的である。前半、ふたりが同じ部屋にいるシーンでその関係性が語られることはない。しかし後半になると、説明もなく頼りになる仲間として存在し、命がけの仕事までする。説明が省略されることにより、当然ながら行動=アクションが際立ってくる。そうなるとアクションを捉える撮影も際立つことになる。老いぼれマックスの人情モノという印象は、演出によって見事に抑制される。この映画の持つ独特の魅力は、映画のスタイルとマックスの生き様のスタイルの絶妙なバランスによって成り立っている。100点。