NINIFUNI

真利子哲也、2011。この映画に台詞は存在するのだが、その内容にはまったく意味がない。だから見る者は、冒頭から見ることのみに集中させられる。宮崎将の死体とアイドルが共存する海岸。両者は物理的な距離を計測すれば近くに存在している。実際にワンショットのなかに両者はおさまる。しかし両者には絶望的な隔たりがある。その隔たりは、端的にはスタッフの無関心という形で描かれる。しかし、この映画のおもしろさを決定づけているのは、宮崎将とアイドルに類似性をもたせることで、距離感を演出していることだろう。アイドルの登場により、映画自体のカメラのみならず、メイキングのカメラやPV撮影のカメラがアイドルを追うことになる。そして映画は、メイキングやPVのカメラにカットする。冒頭から、見ることに力点が置かれていたこともあり、その効果は大きい。見るという行為が、見させられるという感覚に変わり、メイキングなりPVを見る者を意識することになる。海岸のシーンのあと、防犯カメラの映像が映る。宮崎将と共犯の男が映っているのだが、映像は巻き戻されたりする。事件を追う警察の存在がほのめかされる。ここでも見るという行為が、見させられるという感覚に変わり、見る者を意識することになる。映画内のカメラによって両者は類似を見せる。そして追われる身である両者は海岸からすぐに消える。類似する両者は平行したまま決して交わることはない。そのようにして、この映画の絶望的な距離は描かれている。それが直接的に提示される海岸のシーンは、簡潔な描写によって超然とした佇まいを獲得し、アンタッチャブルな空間になっている。95点。