神々のたそがれ

アレクセイ・ゲルマン、2013。SF映画。地球より800年時代遅れな惑星に地球人調査部隊が送られ、そのひとりが神として崇められている。この映画は、そのフェイクでダルそうな神をドキュメンタリーの撮影スタイルで密着する。実際にカメラを覗き込む人が大勢いることから、カメラがそこにあることがほのめかされる。カメラはあり得ないポジションから撮影しないし、時間軸を維持しながらカットすることもない。そして、ほとんどは制限された語り口、つまりダラけた神を通して語られる。ゲルマンの前作『フルスタリョフ、車を!』と同様に、物語性はかなり排除されているのだが、それ以外は普通の映画形式であり、いわゆるアート映画ではない。ゲルマンの映画はカメラのポジションが素晴らしいのだが、この映画は密着ドキュメンタリー形式のため、その素晴らしさは封印される。しかし、前作で見られた喧騒的な映像演出はさらなる飛躍を見せている。近距離の撮影であるにもかかわらず、前景と背景の使われ方も極端になっている。常に雨や煙や霧などが立ち込め、狭い前景も大いに利用される。緻密な撮影プランによって構築されるカオスな世界は圧倒的だ。ダルそうな神に焦点を当てた、グロくてダルいディストピアな物語には独特の退廃的美学がある。しかし、物語の起伏や映像のバリエーションの少なさゆえ、3時間という尺はすごく長く感られた。それは、この映画を普通の映画とみなして価値判断しているからだと思う。ゲルマンは普通の映画の文脈でキチガイ映画を作っているのだ。正常な狂人ほど恐ろしいものはない。畏怖の念を抱かせるような映画だった。でもやはり長い。90点。