霧の波止場

マルセル・カルネ、1938。フランスらしいメロドラマが、フランスらしく詩情豊かに描かれている。細かな描写よりも映画全体を覆うペシミズムが圧倒的だ。逃亡者であるジャン・ギャバンは、港町ル・アーブルで行き場のない人々、つまり逃げられない人々と出会う。ギャバンはそれでも逃亡者としての自分を崩さないのだが、最後に彼も逃げられない人となってしまう。冒頭で犬を助けるギャバンの性格が、最後に災いする形になっている。それにしても、その詩情リアリズムとやらがすごい。パナマというペシミズムの保養地のような波止場の酒場のセッティングが、詩情とリアリズムをいきなり体現してしまう。そして、店の周辺に登場人物全員があっという間にそろってしまう。ギャバンはそこでメロドラマのお相手ミシェル・モルガンと出会う。レインコートの謎の女というのがまたいい感じである。ギャバンは軍服から私服に変装するのだが、そこでもペシミズムが炸裂する。ミシェル・モルガンのペシミズムがまたすさまじい。とんでもない養父がいて、その養父にとんでもないことをされているのだ。被害者女性というメロドラマのヒロインの必須条件を満たしまくっている。そのことが、ギャバンの最後の行動の説得力を強化している。この映画もカルネの同年の『北ホテル』と同様に、映画全体を漂う空気感の演出が見事だ。それを詩情というのかもしれない。ただ、物語をつなぐ重要な役回りを演じるチンピラは、最後に大仕事までするのだが、キャラクターとして無軌道でもなければ軌道にも乗っていない。その不可解なキャラクターが、映画に亀裂を生じさせているような気がする。95点。