SOMEWHERE

ソフィア・コッポラ、2010。いかにもソフィア・コッポラらしいアンニュイな世界が、アンニュイではなくむしろ迅速に設定される。そもそも台詞が非常に少ない。主人公には能動性がない。仕事の話はほどほどに、ひとときの愛欲におぼれている。まず、演出として素晴らしいのは、別居中の主人公の娘、エル・ファニングを動かしまくることだ。それも歩いたり走ったりではなく、テレビゲームや卓球やバレエやアイススケートやプールでの動きから、少女特有のガーリーという乱暴な身体性を写真家のようにとらえている。得意のスーパーロングショットはどれもさり気ない美学が見られる。特殊メイクのズームと親子のプールサイドのズームの対比は象徴的だ。ここでも親子のスーパーロングショットの美しさはさり気ない。ソフィア・コッポラの過去作からの最大の変化は音楽だろう。劇中音楽以外ほとんど使われることがない。過去2作で強烈に音楽と映像を結びつけていたブライアン・レイツェルのクレジットはない。この映画も、音楽がつけばガラリと変わるだろうが、それは良し悪し以前の変化でしかない。つまりこの映画に音楽がないことが悪いことにはなっていない。冒頭とラストはあからさまな対照性を見出すことができる。ループからの停止があり、全編を貫くフェラーリのエンジン音の浮世離れした響きが終わる。物語でいえば、愛する無垢な娘が浮世離れした世界と対面することで対照性が強調され、その結果として主人公ははじめて能動的に動きはじめる。良くいえばアンニュイ、悪くいえば退屈、同じ意味なのだがアンニュイで素敵な映画だ。95点。