ワイルド・アパッチ

ロバート・アルドリッチ、1972。この時代の西部劇であり、勧善懲悪ではないとなると、ベトナム戦争が背景にあるのはまちがいない。この映画は入植者側から描いているが、インディアンと入植者の善悪については描かれない。そして若き少尉は牧師の息子であり、キリスト教的な価値観までもが物語に入り込む。しかし少尉には死体を埋葬することくらいしかできない。キリスト教によって物事は変化するのだが、その正否までは描こうとしない。誰にも肩入れされることなくおこなわれる殺戮は、かなりの恐怖がある。殺戮は善悪あってこそ痛快なのだ。悪の仕業であったり、悪を懲らしめるという暴力装置がこの映画にはない。ゆえに勧善懲悪に逃げることができない。そうなると個々人の厳しい視点の介入、もしくは単純に頼るもののない恐怖を避けることはできない。この殺戮を単純に娯楽として楽しむことは不可能だろう。そのようにして、宗教的な正しさ、入植者の正義、カリカチュアされたインディアン像は見事に崩壊する。そんななかでも崩れないのが、バート・ランカスターと、アパッチのケニティである。このふたりだけはなにがあろうとブレることはない。ランカスターはアパッチの嫁がいて、ケニティは騎兵隊についたアパッチである。このふたりはバディでもなんでもないのだが、ブレない信条を持つふたりとして、互いに信頼し切っている。敵味方や民族のちがいがこのふたりのあいだではあらかじめ融解されている。だからこそ強いのだろう。かなり単純なことだが、このメッセージを現代社会に照らし合わせてみると痛々しい現状しか見えてこない。95点。