罪の手ざわり

ジャ・ジャンクー、2013。実際に起きた四つの事件が描かれている。オープニングの流れが見事だ。男とトマト。倒れるトラックと散乱するトマト。そしてシカゴ・ブルズだ。いまは弱小チームなのだが、むかし黄金期があったシカゴ・ブルズ。久しく忘れていたブルズの凄みをこんな映画で思い出すことになるとは思わなかった。この映画では弱者が暴力に訴えるさまを、リアリズムではなくアクション映画のように描写する。そうして描かれる暴力は、中国社会そのものとともに、その虚構性を強力に暗示しているようにも見て取れる。第一話のトマト男は正義の殺戮マシーンだ。悪者である実業家、村長などをライフルで始末する。第二話のブルズは家族にも社会からも疎外された殺人者だ。第三話のチャオ・タオは基本的には善人だが札束で殴るおっさんをナイフでぶっ刺す。そして第四話の青年は行く宛もなく自殺する。殺人者と動物に平行性を持たせながら物語は語られる。トマト男は虐げられる馬を自由にする。ブルズは豚だらけのトラックを目にする。チャオ・タオは殺害後、蛇や猿に出くわし自首する。そして第四話では金魚が解放される。その他にも動物のモチーフは描かれる。これは、弱者が殺人という暴力に訴えるとき、人間の尊厳は失われ、動物のようにただ生きるしかないことを暗示する。そして中国の現状はその状態に簡単に陥ってしまうのだろう。その点で中国と日本はさほど変わらない。その後が描かれない登場人物たちの物悲しさといったらない。チャオ・タオだけはその後が描かれる。ラストは自白を強要される人物を描いた人形劇をチャオ・タオが見ている。むごたらしすぎる。100点。