都会のアリス

ヴィム・ヴェンダース、1973。たぶん誰にも映画の原風景というものがあると思う。自分の場合はその多くの映像がロビー・ミューラーによって撮影されている。だから久しぶりに原点回帰した心持ちとなり、現状これではいかん打破すべしと心に誓うことになった。この映画で提示されるヴェンダースとアメリカとのあいだにある親近感と疎外感というものは、日本人のメンタリティに少なからず共通するものがある。明らかなアメリカ型社会教育を受けながら、アメリカでは異国人でしかないという感覚。その親近感と疎外感を拡大解釈すれば、ヴェンダースが好きな小津映画にも同じことがいえる。ここで小津映画とハリウッド映画の親近感と疎外感を語りだしたらキリがない。この映画のハリウッド映画らしくないところは、時間の経過をあらわすショットにおいて、時間の経過を明示しないところだ。アリスとの旅路のなかで、ショットあるいはシーンを入れ替えてもなんら問題のない箇所がいくつもある。そこには小津映画の影響も見て取れる。小津もシーンのなかでまったく関係のないショットをはさんだり、シーンのつなぎにも同様なことをする。このショット間の因果関係の希薄はハリウッドの作法ではない。ゆえにこの映画及び映画の時間というものは、アメリカナイズされながらもハリウッド映画からは疎外されている。だから小津映画ファンには胸にすとんと落ちる。この映画の圧倒的な美学を体現しているロビー・ミューラーは見ているだけでジャームッシュへとつながりジャームッシュからまた小津へとつながる。音と映像に対する敏感さと緊張感が映画全体を通して見事に維持されている。100点。