三十九夜

アルフレッド・ヒッチコック、1935。すべてのシーンが名シーンといえる映画。各シーンそれぞれに素晴らしく、アイデアに満ちあふれている。常にスリルやサスペンスは発生しているのだが、音楽などでそれを煽ることをあまりしない。この映画はロバート・ドーナットが巻き込まれた逃亡者となり、闇の組織と警察から追われることになる。通常こうした映画では自信満々な悪人と怯えながらも勇敢な主人公という構図が多い。しかし、この映画では無敵の主人公ロバート・ドーナットが、破天荒な探偵のような役割を演じ、逃亡を楽しんでいるように見える。この物語は荒唐無稽で爆発的なアクションによって状況が打開されることが多い。だからロバート・ドーナットのキャラクターが生きている。すべてが名シーンといえるのだが、スコットランドの田舎の夫婦の食卓のシーンが忘れられない。適切にショットがカットされ、最後にロングショットになったときのロバート・ドーナットと女の姿勢、距離、視線などの演出は完璧だった。マデリーン・キャロルとのホテルのシーンも忘れがたい。そしてミュージック・ホールである。ミスター・メモリーによる冒頭との反復が強烈な形で示される。このシーンの脚本演出は本当に素晴らしい。義務や自負などが宿命的にメモリーに降りかかり、殉職者となる鮮やかな幕切れは美しすぎる。すべてのシーンが素晴らしければ同様に素晴らしい映画になるわけではなく、そこにはいろんな要素が絡んでくる。この映画はそのいろんな要素を極力排除しているように見える。それによってこの圧倒的な作劇は生まれている。95点。