さすらい

ヴィム・ヴェンダース、1975。『都会のアリス』で見られた自由な演出スタイルが、この映画では演出という枠を超えて映画そのものが自由を獲得しているように見える。まず物語から自由であろうとする意図は強く感じられる。人物設定の曖昧さは物語性の回避につながっている。具体的なエピソードもあるにはあるのだが、ディテールが語られることはない。この映画は時間と空間からの自由度もかなり高い。映画のなかの時間の推移はまるでわからない。シーンとシーンを入れ替えてもいいし、一週間の出来事なのか一年間の出来事なのか、ほとんどわからない。その上この映画は映画外の時間、つまり上映時間という意味でも時間からの自由度が高い。時間の使い方の優雅がすさまじいのだ。3時間の上映時間のなかに詰め込まれている物事の少なさ。それでも無駄が一切ない。大作ゆえに尺が長くなる映画は多いのだが、この映画の場合はその優雅な時間を描くために尺が長くなっている。時間を左右するものが、語られる物語の量とは無関係なのだ。だから時間から自由でいられる。空間の自由さはロード・ムービーならではのもので、目的地もなくただ漂流している。その時間と空間のなかで登場人物のこころも漂流する。物を語る映画ではないから台詞はかなり少なく、論理的であったり演劇的であったりすることはない。そして、ロビー・ミューラーのシャープなモノクロ映像は本当に神がかっている。カメラワークも素晴らしい。この映画の映像体験というものは、何回見ても色あせることがない。いつまでも見ていたいと思わせてくれる数少ない映画のひとつである。100点。