死刑執行人もまた死す

フリッツ・ラング、1943。人物がひたすら動いていたり、沈黙していたり、歌ってみたり、演じてみたりする。そういう意味で映画的なアクションに満ち溢れた映画だ。この映画は1942年に起こった、ナチスドイツ占領下のチェコを統治していたラインハルト・ハイドリヒの暗殺事件から着想を得ており、事件の1年後には映画が公開されている。反ナチス反ゲシュタポで団結するチェコスロバキア市民を英雄として描いたプロパガンダ映画なのだが、プラハ市民が団結するまでの経緯が見事に描写されている。『M』においては団結する民衆は恐怖として描かれていたのだが、ここではレジスタンスのみならず、プラハ市民の鬼の結束が、暗殺事件の犯人探しの行方を左右することになる。この鬼の結束によってナチスと市民の対照を生みだし、だからこそサスペンスが生まれるのだ。強烈なシーンもいくつもある。ノヴォトニー家、収容所、病院の控室、医師の家などのセットの使い方が印象的だ。この映画は市民の団結が、市民が演じることと同義になるという流れが素晴らしい。サスペンスを超えた状況にある市民の肝の座った演技が、上等なサスペンスを生んでいるという凄みがある。もう一度見たいのだが、心臓に悪いから間隔を置かないと見られない。ノヴォトニー家の父の遺言は、子どもたちやチェコスロバキアのみならず世界に向けられている。プロパガンダ映画ゆえの胡散臭さはたしかにある。しかしこの映画は戦争を扱った上質なサスペンスとして成り立っており、それがラングらしい演出によって描かれている。『M』の衝撃には劣るのだが、驚異的な映画であることに違いはない。100点。