吸血鬼ノスフェラトゥ

F・W・ムルナウ、1922。サイレント映画の代表作であり、ホラー映画の代表作であり、吸血鬼映画の原点でもある怪物的な映画。台詞ではない字幕がかなり入るため、小説のような佇まいがある。不動産屋の上司、部下の男とその妻、そして吸血鬼の男爵の四人がメインとなるのだが、それぞれに接触が少ない。そのため特に後半のスリリングなクロスカッティングが生まれている。接触がないからこそ、接触することは重大なことであり、その重大さは見事な演出によって語られることになる。影の演出がひときわ効果的なのだが、死者が通る街路などはドイツ表現主義的な美学がある。不動産屋の男が顧客となった男爵の館へ出張するというのが時空間の軸となっている。その描かれ方がすさまじい。奥行きを活かした撮影やカメラの構図はいうまでもないし、ネガを反転するショットもいうまでもない。男の帰路の西部劇のようなロケーション撮影も見事だ。男の時空間の軸がしっかり描かれているからこそ、不気味に忍び寄るノスフェラトゥの恐怖は、不在でもなお恐怖として存在する。その不在の恐怖は、ノスフェラトゥに操られた上司の暴走ぶりによって強調される。ノスフェラトゥと上司は、静と動の対照として描かれる。そのため静のノスフェラトゥの不気味が強調されるのだ。いま見てもそれほど怖くはないのだが、ロケーション撮影の多さを含め奇妙な不気味さは十分にある。吸血鬼役のマックス・シュレックのインパクトは普遍性がありまくりだった。見たものは映像がかなり荒かった。復元された高画質版があり、出来ばえはしらないのだが、そちらをスクリーンで見たくなった。95点。