バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

アレハンドロ・G・イニャリトゥ、2014。長回しについては、その効果よりも演出力の貧弱さを露呈してしまっている。ワンムービーワンショットのようなスタイルで撮影されており、時間や空間の大胆な省略はおもしろいものがあった。ただ長回しならではのショットの緊張感はまるでなく、例えばアレクセイ・ゲルマンの長回しにおける、前景や後景の人や物の使い方のような、技巧と才気が暴発したようなものがこの映画では皆無だ。撮影スタイルに付き合わされている感じが見ていて常にあった。しかし普通にショットをカットしていればおもしろくなっかといえばそうともいえない。それはこの映画自体が撮影スタイルと切り離せない関係にあり、その関係を修復するのが困難だからだ。時間の緩急があまりなく物語としてはやや散漫な印象を受ける。物語の筋はわかるのだが、細かいところは意図することがわからないところも多かった。マイケル・キートンの超能力は、過去の超現実スターの遺物であるように見える。ここでは演劇を現実的、映画を超現実的として対照させて描かれる。キートンにとって映画は内側からも外側からもネガティブに語られる。それが終盤、バーで映画の魅力が語られ、屋上でキートンは音楽を映画自体に要求する。ここで見る者とキートンは映画内でより深い関係を持つにいたり、そのまま優雅に空を舞う。このシーンはキートンの映画と見る者の映画がとても親密な関係にある。超現実がはじめてポジティブに描かれるのだ。そこには映画の肯定や映画への愛が、キートンと映画自体の両方から感じ取ることができた。90点。