パターソン

ジム・ジャームッシュ、2016。バス運転手パターソンの一週間が描かれている。日常が反復され大きな事件はなにも起こらない。しかし反復には差異がある。その差異がこの映画をおもしろくしている。毎日の通勤や帰宅や犬の散歩のシーンは同じショットで構成されることはない。しかし同じ行為が繰り返される。バスの乗客は毎日会話をしているが同じ会話ではない。パターソンは毎日ひとりバーに通うのだが、いつもちがう出来事が起こる。反復されるがゆえに差異は引き立てられ、パターソンの寛容性が浮き彫りになってゆく。パターソンは好きで詩を書いており同様に好きでビールを飲んでいるような男だ。この映画は愛の映画なのだが、妻のローラはパターソンとは対照的に描かれる。歌手になろうとしていたり、菓子を作って売ったりしている。パターソンの発表も視野に入れている。対照的に描きながら、愛の物語になっているのは、なにもパターソンの寛容の精神が高みに達しているからではない。映画はパターソンとローラの対照性そのものをあたたかく包み込んでいる。世に出さない詩作や世に出す物作りなど表現行為の多様性そのものを、映画はただひたすらに賞賛する。映画とパターソンの視点はほぼ同じなのだが、パターソンが寡黙なぶん映画による語り、つまり演出が占める割合が大きくなる。映画とパターソンからにじみ出るダブルの寛容性は、夫婦から他人、そして見る者へと伝播する。映画のなかでは詩を通して大阪へと伝播してゆく。その起点となるのが愛であり、一日のはじまりのショットなのだ。あたたかい愛がいっぱいに溢れてこぼれ落ちているような映画である。100点。