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アンリ・ヴェルヌイユ、1955。メロドラマらしいメロドラマ。反復されるマリーという女とクロという女の類似と差異を用いながら物語はジャン・ギャバンとフランソワーズ・アルヌールの恋の行方を描写してゆく。感傷的な音楽があるものの、メロドラマとしての湿度は低めで演出されている。撮影スタイルが映画に及ぼす影響も大きい。白と黒のコントラストはとても美しく硬質な印象を与える。ローポジションのカメラがトラックを巨大に映し出し、扉や鏡や階段といった定番モチーフの使い方も素晴らしい。ただ映像演出とメロドラマの演出の相性には疑問は残る。そもそも脚本がよかったのかどうかよくわからない。ジャン・ギャバンとフランソワーズ・アルヌールからは哀愁しか感じられなかった。ギャバンの回想という形式の物語だから、ギャバンは相変わらずトラックを運転しており、アルヌールの不在は冒頭で提示される。アルヌールは死ぬか消えるのだろうと推測する。そしてそのとおりに物語は展開する。しかしこの映画では、ふたりの恋が描けているとは思えない。それが描けていないとすべては意味をなさない。あとは、牛を運ぶトラックのシーンまでに、なぜ子どもを堕ろしたと言わせないのだろう。心理描写としてはわかるのだが、映画としての面白味は欠けてしまっている。ギャバンの回想形式ならなおさら必要なくだりだろう。ふたりの関係性の大きな変化がこの映画にはない。ふたりはいつも陰鬱としておりいつも健気なのだ。原題を訳せば『とるに足らない人々』となる。この映画はそういう視点が必要だと思うのだが、その視点を映画から感じ取ることができなかった。90点。