ニンゲン合格

黒沢清、1998。ワンシーンあるいはワンショットに映画的なおもしろさがあふれている。歩く、走る、コケる、そしてゴミに埋もれる。それらが喜劇的に反復されることで、コミカルさはないのだがシリアスさは排除される。カメラのポジションも動きも絶妙で横移動のアクションにはワクワクさせられた。西島秀俊が10年の空白のある男を見事に演じている。空白を演じさせたら日本一の役者だ。そして大人と子どもが共存する西島が、独特のゆるさでもって離散した家族を集めようとする。そして家族もややぎこちないゆるさでもって集まってくる。しかし父の菅田俊だけは別だ。この映画はほとんどが自然光のような照明なのだが、菅田俊は顔すらまともに映らない。なんとか家族は集合するのだが、西島の存在によってどこか奇妙な空気が流れる。そして集まり方も奇妙な形となる。父だけはテレビに映るという形で集合するのだ。そしてこの映画で輝きを放ちまくった哀川翔は、家族ではない異物ゆえに去り、彼についてゆく形で妹の麻生久美子も去る。母のりりィもそろそろという感じで去ってゆく。西島は擬似的あるいは一時的に集合した家族の離散に文字通り置いていかれる。そして家族の象徴であったものが破壊され、ついに西島はこの映画で散々描かれたモチーフであるゴミの下敷きになる。ラストは『砂漠の流れ者』へのオマージュだろう。この映画は省略が非常に多い。省略された空白の時間は、西島の空白の時間とどこか似ているものを感じる。西島のキャラクターと映画のテクスチャーは近しい気がする。西島の空白ではない濃密な時間を映画はやさしく軽妙に描いている。100点。