散歩する侵略者

黒沢清、2017。コメディタッチのSF映画であり愛の再生物語でもある。この映画は黒沢清映画にしてはわかりやすい娯楽性がある。とはいえその喜劇性や娯楽性はあくまで黒沢清のそれだ。この映画は脚本に問題がある。原作があるとすぐにわかる脚本で、原作モノの罠にハマっているとしか思えない。様々なモチーフが様々な形で描かれるのだが、どれもが散らかっており浅くて薄っぺらな印象だ。画面構成や映像演出は素晴らしいものがある。であるにもかかわらず浅くて薄っぺらに描かれているのは脚本の問題だろう。スタートで大きくつまづいているから、どうあがいても娯楽映画としておもしろくはならないのだ。映画自体はかなり遊んでいる。ジャンルと意図的に戯れたり、脇の人物たちの動きにはラングを思わせる。杉村春子みたいなオマージュもある。しかしそうした遊びは盤石な土台としての脚本があるという余裕が必要なのだ。映画は長谷川博己パートと長澤まさみパートをクロスさせながら進行する。長谷川博己パートはアクション映画だ。それを牽引する長谷川博己は相変わらず素晴らしい。そしていつになく大胆な恒松祐里の使い方もおもしろい。長澤まさみパートは夫婦の再生の物語だ。こちらはうまく描けていない。松田龍平の半分人間宣言は唐突だったし、愛という「概念」を奪うというアイデアは凡庸だ。宇宙人たちは「概念」を奪うのだが、奪っても何も変化しない。変化するのは人間のほうなのだが人間はほぼ放置される。終盤が非常にもったいない。あれほどつまらない空間をラストで作るのであれば、海のシーンで映画を完結させるべきだった。85点。