惑星ソラリス

アンドレイ・タルコフスキー、1972。SF映画の名を借りた人間の内面映画。ただ広大な宇宙へのアプローチと深遠な人間の内面へのアプローチというものはかなり類似している。では違いは何かといえば、そこに至る道のりである。宇宙への道のりには優れた科学技術や物質的な繁栄が不可欠であり、人間の内面に至るのにそれらは必要ない。だからこの映画では科学技術や物質主義の繁栄がとても不毛なものとしてほのめかされる。宇宙船の退廃的な外見は主人公の男の内面を照射しているようだ。そして語られるのは男の内面のような宇宙船を舞台とした男の内面世界である。そこには妻と家族が登場する。内面世界の映画だから混沌としていて当たり前なのだが、それゆえに一般映画からは逸脱している。冒頭からすさまじいのは時間の感覚を麻痺させるような鈍重さだ。まるでスローモーションでも見ているかのようなショットが大量にある。そして物語は予定調和な展開を見せることはない。さらに厄介なことにキリスト教の影響が色濃く感じられる。見ていてとっても眠くなる映画の典型といえるだろう。男の前には妻の複製が二度あらわれる。一度目は男がロケットに乗せて飛ばしてしまう。二度目は別の男に爆破される。現実世界の嫁は自殺をしている。マザコンのように登場する母がいて、父はまだ生きている。水のモチーフはそれらを映し出す鏡である。妻の複製、晴天の豪雨、濡れたからだ、家にいる父に降り注ぐ水、様々な模様に変容する水面、そしてラスト。水の映画であり鏡の映画でり、つまりはタルコフスキーの映画なのだが、度肝抜かれる映像演出が少なかったような気がする。95点。