アバンチュールはパリで

ホン・サンス、2008。近年の上映時間の短いホン・サンス映画というのは、撮れば名作、名作しか撮れない、というようなすごさがある。ゴダールがガレルを評して「息をするように映画を撮る」と言ったのは有名な話だが、ホン・サンスの場合は「散歩をするように」とか「鼻歌を歌うように」とか、そんな感じで軽やかに名作を撮ってしまう。この映画もとても軽やかな映画だ。しかし2時間半の長尺と軽やかさは反比例しているように思えた。この映画もホン・サンスらしく映画形式の原則と戯れながらも、原則を破ることで曖昧さが強調されている。ふたりの女性にドケチだと反復されるパク・ウネが、ホームレスの男に差し入れするシーンは象徴的だ。この映画では対照や類似がひたすら反復される。反復される人物の行動が映画を形成してゆくのだ。キム・ヨンホは元カノへの欲情を我慢し、のちに元カノは自殺する。しかしパク・ウネへの欲情には負けてパク・ウネは妊娠するのだが、妻の妊娠のためキム・ヨンホは帰国してしまう。この類似する妊娠にも対照性がもたらされることになる。ふたつの顔を持つ牛の絵が反復して登場する。それは反復や対照性のみならず映画そのものを象徴している。ソウルとパリ、男と女、北と南による右手と左手、真実と嘘、夢と現実、昼と夜、などなど。そんな対照が軽やかに演出されているのだ。カメラもユニークでおもしろいのだが、大胆な省略演出が見事だ。シーン終わりの省略、わずか数秒のシーン、シーンそのものの省略。それらがグダグダした人間模様の速度をあげ、グダグダした映画になることなく、グダグダが軽やかに描かれるである。95点。