天国の口、終りの楽園。

アルフォンソ・キュアロン、2001。ドキュメンタリーなカメラ演出にゴダール的な音響としてのナレーションが重なる。そして描かれているのはセックスにまみれた青春と、ところどころに散りばめられたメキシコの現実である。他の音を下げて繰り出される硬質なナレーションと、コンティニュイティ編集から逸脱したドキュメンタリーな撮影スタイルは、見る者と対象とのあいだに距離を生んでいる。カメラのために作劇がなされるわけではなく、出来事をカメラが捉えているという印象を与え、同時にカメラの前では情報不足であるものをナレーションが補う。まさにドキュメンタリー的な手法だ。行きずりのセックスはすぐに終わる。友情は脆くも崩れる。青春を謳歌するはずが、青春ゆえに謳歌できないハメになる。それらすべての青春が奔放な性描写と下劣なセックストークを通して語られてゆく。最初は意気揚々と天国の口へと向かうガエル・ガルシア・ベルナルとディエゴ・ルナ。もうひとりの女マリベル・ベルドゥの奔放な振る舞いもあり、ふたりはどんどん丸裸になる。その過程を描いた片道ロード・ムービーとなっている。丸裸の男ふたりで帰郷する帰路は当然描かれない。帰路の車を空撮でもしてエンドクレジットを入れておけば美しき青春の一ページにはなっただろう。しかしそれさえ許さない。ふたり数年後に会い、テキトーなトークとマリベル・ベルドゥの死が語られる。そしてナレーションは、ふたりが二度と会うことはない、と語る。この突き放し方はカメラとナレーションが一貫して取り続けてきたスタンスなのだ。この距離感が映画を素晴らしいものにしていた。100点。