アデル、ブルーは熱い色

アブデラティフ・ケシシュ、2013。アデル・エグザルコプロスを撮ることと、映画を撮ることがかなり近しい関係にある映画。もちろんレア・セドゥとの台詞のやり取りにおける猛烈な切り返しショットや性描写もこの映画を象徴している。だからアデルとレア・セドゥとの関係性を両者の顔面を通して描いた映画といってもいいだろう。しかしこの映画の撮り方はとても偏屈で窮屈に感じた。アデルは本当に素晴らしかった。大人のエロティシズムと子どものあどけなさが見事なまでに共存しており、それが映像におさめられたことは奇跡といってもいいだろう。アデルとレア・セドゥは対照的に描かれる。対照はいろんなパターンを駆使して強調されるのだが、それに時間を割きすぎている。3時間という長尺映画になってしまった第一の要因はこの対照を描きすぎた点だろう。性的マイノリティーへの偏見描写も中途半端だから短くできる。さらにもう少し脚本をいじればすぐに2時間映画にはなるだろう。そうなるとこの偏屈な撮影の見方も大きく変わってくるし、シンプルすぎるふたりの関係性の見え方も変わってくるのだ。アデルの可愛らしさの演出は素晴らしい。アデルには似合わないと思えるような所作が多く演出されている。この似合わないけど画になってしまう感じはやたらと可愛い。しかしこの映画はアデルが可愛いければいいというような映画ではないはずだ。『クスクス粒の秘密』で見られたような、映画の魅力が詰まった活劇も見られなかった。ビンタとか殴り合いとか同性愛発覚とか、そういうのがないのは好印象だった。90点。