ミルドレッド・ピアース

マイケル・カーティス、1945。フィルム・ノワールにはファム・ファタールということで、悲劇の悪女がこの映画にはふたりも登場する。ジョーン・クロフォードとその娘だ。しかし娘のほうは喜劇的にカリカチュアされて描かれるため、そのとばっちりまでジョーン・クロフォードは受けることになる。この娘は、上流階級志向が異常なまでに強く完全にキチガイのレベルに達している。強迫観念としての上流志向にパーフェクトにとらわれており類型化した感情しかない。喜劇だから仕方がないのだが、クロフォードには喜劇性がないだけにそのズレが気になる。クロフォードはその喜劇化した娘を愛し続けることで悲劇のヒロインとなってゆく。この母子の物語にハマればこれは素晴らしい映画になるだろう。脚本には疑問が残る。謎の殺人事件が起こり、回想形式で種明かしの殺人事件までが描かれるのだが、そこにはミステリーなど存在せず、クロフォードの半生記が描かれるのだ。フィルムノワールの回想形式とクロフォードの半生記はとても相性が悪いように見えた。まるでふたつの映画を見させられているような気になってしまうのだ。犯罪について思い出すのは終盤を除けばわずかしかない。だからあとはクロフォードの半生記となっている。クロフォードは独立心が強いのだが、これは当時のアメリカにおける女性の社会進出と関係があるのだろう。そうした様々な要素が強く打ち出されているのだが、それらがうまくまとまっているようには思えない。人物の動きとカメラの動き、人影の演出やシャープなモノクロ映像は素晴らしかった。90点。