クレイマー、クレイマー

ロバート・ベントン、1979。反復と差異が物語に対して有効に機能している。決定的なのはフレンチトーストの反復と、ひとりエレベーターに乗るメリル・ストリープの反復だろう。フレンチトーストが父子の変化を提示し、メリル・ストリープは家出シーンとの類似ゆえに帰宅が暗示される。他にも幾度となく反復されるのが、息子を学校まで送ったあと自分はいそいでタクシーを呼ぶダスティン・ホフマンなどだ。脚本は大胆に時間を省略するのだが、反復の差異によって時間経過がちゃんと描かれている。ネストール・アルメンドロスの屋外撮影が圧倒的に美しい。屋内でも冒頭のメリル・ストリープのショットなんて映画のなかで浮いているのだが、浮いているからこそ素晴らしいのだ。社会的自立や育児や性の問題を扱ってはいるものの、ダスティン・ホフマンの育児によってホフマンとストリープの問題が息子の問題のみに絞られてしまう。だから「クレイマー対クレイマー」の不毛な裁判劇がおもしろくなる。お互いにバトルしようとする弁護士がいる一方で、ホフマンとストリープは目で合図をしたり、弁護士には苦言を呈したり、裁判のあとで謝ったりする。そしてラストへの布石として親友夫婦がよりを戻し、ラストでは冒頭の別れを巻き戻すかのようなエレベーター演出が見られる。ホフマンと息子が最初に遊ぶ公園の美しさが圧倒的だ。ストリープもあそこで待っている。さらには息子を担いで走るホフマンなど数々の横移動撮影はニューヨークという街のイメージとかなり合致していた。ホフマンとストリープのもっとダメ人間な部分を見たかったような気がする。95点。