裏窓

アルフレッド・ヒッチコック、1954。この映画ほど台詞がいらない映画はあまり見たことがない。映像で語る映画であり映像はジェームス・スチュワートの視線を中心に描写される。ただヒッチコックの映画は音に関しては非常に鋭敏であり、この映画も台詞はなくてもいいくらいなのだが、音は不可欠となっている。映画を見るという行為そのものは、覗き見にかなり近い。だからこの映画のなかの覗き見するジェームス・スチュワートの主観ショットは見る者と同期しやすい。映像が見えているのではなく見ているという感覚に引きずり込まれるのだ。しかしその覗き見感覚自体が素晴らしいのではなく、覗き見感覚によって映画の素晴らしさが一層際立っていることが重要だ。たとえばグレース・ケリーとの最初のキスシーンは驚くべき効果をもたらしている。覗き見によって矮小化された視覚に突如あらわれる超客観的ヒロイン。そのシーンか二度目かは忘れたのだが、左右のバランスがキスの瞬間に逆になったりするのも効果的だった。グレース・ケリーは覗き見スタイルによって逆に際立っていたものの象徴といえるだろう。犬が死ぬシーンは中庭での出来事なのだが覗き見スタイルから飛躍して客観ショットが連発される。これも覗き見スタイルがあるからこそ際立っている。覗き見は覗いているジェームス・スチュワートにカットされる。この基本的なモンタージュはジェームス・スチュワートの好演抜きには語れない。中庭の風景や人間模様も素晴らしく、あとは本筋の事件なのだが、これがおもしろいのに詳細がよくわからなかった。でもまあわからなくてもいいやと思える映画ではあった。100点。