サイコ

アルフレッド・ヒッチコック、1960。またもやヒッチコックらしく全体にまとまりがない。この映画を見る多くの人はジャネット・リーが途中で死ぬことを知っているだろう。それだけ有名なシーンだから自分も知っていた。それにしたって、あんな駆け落ち的な流れを丁寧に作り込んでから惨殺することないのにと思ってしまった。主人公が映画の中盤で理由もなく殺されるという大胆さ。その殺戮のイメージ。ショットの構成が素晴らしいのかどうかよくわからないのだが、ジャネット・リーを切り刻むようにカッティングされていく映像演出は恐怖よりも芸術的な美学を感じたし、かなり実験的な試みだったように思う。そしてこの映画が尋常でないのは、シャワーシーンで映像を切り刻んでおきながら、アンソニー・パーキンスの後処理のシーンをほどんどカットもせずそのまま見せつづけるところだ。それまでこの映画はジャネット・リーが観客の分身として機能していた。そうしたなかで分身を失った観客は、分身に一番遠いアンソニー・パーキンスの後処理を延々と見させられるのだ。映画は代わりに分身を用意したりはしない。だからこの後処理の長さを見ていると、ジャネット・リーの世界からアンソニー・パーキンスの世界へと映画が移行しているようにも見えた。観客の分身のいない世界であり、主人公がサイコである世界への移行として、シャワーシーンと後処理の対照があるのだ。恐れを知らぬ善人探偵はいかにも脇役らしくあっさりヤラれる。そこまではいいのだがあとがちょっともたつく。俯瞰などのアングルショットが効果的に機能していた。95点。