抱擁のかけら

ペドロ・アルモドバル、2009。冒頭から当然のように扱われる性の描き方の大胆さや、キッチュな色彩を帯びた映画内映画などに、アルモドバルらしさを垣間見ることができる。ただ、いわゆるアルモドバル印の映画という感じではなく、一般的な映画のテイストとアルモドバルの持つ異質さがほどよくブレンドされているという印象だ。登場人物の持つビデオカメラの映像が、とても有効に使われている。それは隠し撮りからのペネロペ・クルスのアテレコシーンであったり、ラスト付近のキスと手の映像であったりする。このふたつのシーンにもいえることなのだが、この映画は常に不自由さがつきまとう。もしくは壊れたものや失われたものを復元しようとすることの不完全さといってもいいのかもしれない。それは、盲目の主人公であったり、聞こえない声であったり、壊された映画であったり、ビリビリに破られた写真であったりする。そうした破壊と復元といったものを、この映画はとても丁寧に捉えている。そしてそれは映画内映画の復元という形で象徴される。この映画には常に、近くて遠い、もしくは遠くて近い距離感のようなものが存在している。ふたつの時間軸は当然それを意識させるし、ビデオカメラの映像によって示されるラスト付近のキスと手のシーンにおける近くて遠い感じなんかは見事だ。映像の虚構性をうまく利用しており、時間軸の遠い距離と、物理的な近い距離によって圧倒的なシーンになっていた。未完成の映画を復元する確固たる信念はよくわからなかったのだが、ペネロペ・クルスが映画の現在には存在しないということはひしひしと伝わってくるものがあった。95点。