七人の無頼漢

バッド・ベティカー、1956。事件に巻き込まれて妻を殺された元保安官が復讐を企てる映画。アンドレ・バザンが絶賛したことでも有名な作品で、西部劇の隠れた傑作といえるだろう。映画は78分と短いのだが、そのなかに素晴らしい脚本と、素晴らしいカメラワークと、素晴らしい演技を見ることができる。特にカメラのウィリアム・H・クローシアによる、大胆なカッティングや躍動的な移動ショットが随所に見られる。役者では主演の元保安官ランドルフ・スコットはもちろん、リー・マーヴィンが本当に素晴らしく、あとは唯一の女性ゲイル・ラッセルもとてもよくって、みんな無駄のない渋い演技を見せてくれる。無駄のなさは映画全体にいえるのだが、脚本の無駄のなさがやはり際立っており、ストーリーも人物描写も本当に無駄がない。西部劇特有のヤバい空気は漂っているし、実際ほとんどは死んでしまうのだが、狙った感じのしない独特のユーモアが全編に漂っており、どこかほのぼのとしたところがあり、とても好感が持てた。ブルーレイを買ったので、何度も見られてるのはうれしい。95点。

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法

ショーン・ベイカー、2017。カラフルなゲットーにおける母子のストーリー。なぜカラフルなゲットーのかといえばディズニーワールドの周辺に位置しているからだ。この映画は母子の関係性よりも、子供たちの目線でストーリーが成り立っている。子供目線だから大概が曖昧に済まされて適当に時間が過ぎて去っていく。シーン割をとってみても唐突にバサリと切っちゃうし、散見される画へのこだわりも押し付けがましくはない。叙情性みたいなものはザックリ排除されている。つまり母子の愛や子供たちの友情には、見ていて感情が乗ることはない。そもそもアメリカってこんな国でしょう、と思うばかりだ。ウィレム・デフォーの存在は重要なのだが、その期待されるべき役割を半ば放棄しているようにも見えてしまう。でも他のキャラクターを維持させるという意味では一定の役割を演じている。それによってこの映画のゲットーにはある種の平和がもたらされているようにも見える。でも行政機関が実力行使に出ると当然ヤバい。そこで、だからこそミラクルが発生するのだが、そのミラクルがあまりにもマジカルでミステリーなエンディングになだれ込んでいったから、単純な感動と単純ではない感動が入り乱れ、すこぶる良いエンディングになっていった。95点。

太陽を盗んだ男

長谷川和彦、1979。理科教師の沢田研二が原爆を作って政府を脅迫する映画。しかし作るまではちゃんとしている感じなのだが、脅迫する段になってネタがないものだから、野球中継を延長しろだとか、ストーンズ呼べだとか、当時でいえば広島や長崎へと向かうはずの原爆のラインがあると思うのだが、この映画にはあんまりその気がない。今の視点で見ると、オウムの事件や311などによってよりこの映画は近しい存在になっているから時代を先取りしているともいえる。しかしなんだかとても不可解な映画だ。後半はもうド派手なエンタテインメントになっていて、撃たれても起き上がる不死身の刑事、菅原文太と、核抑止力によって守られているような沢田研二の闘いになる。どうもこの映画は『タクシー・ドライバー』に似たところがあって、沢田研二とデ・ニーロには似た部分がある。ただこちらのほうが圧倒的に滅茶苦茶だ。池上季実子はこの映画にふさわしいぶっ飛んだヒロインを好演していた。全体的にはちょっとだらだらした部分があって飽きがきた。尺が長めの映画で、少々無駄があるようにも感じた。この映画、良い無駄と悪い無駄の混在がやたらと激しいのだ。すべてを無駄とは思わず猛追して見ていけばこれは傑作となると思う。できればそういう見方をしたかったのだが、プツプツと集中が切れてしまった。95点。

天はすべて許し給う

ダグラス・サーク、1955。丁寧に作られたメロドラマの傑作。まずこのメロドラマの障害となるものが強固でありながら弱いというところが素晴らしい。やや地味な主演のふたり、ジェーン・ワイマンとロック・ハドソンに対して、助演の人物はほとんど描かれることもなく、しかしテーマには絡んでくるというその塩梅がすばらしい。例えばふたりは町の偏見と派手に戦うこともないし、子供たちはいかにも子供たちらしく自分のことしか考えていない。町と山小屋の対照も見事に描かれている。それがえげつないまでに際立つのはテレビの登場だろう。ただテレビも謙虚に描かれており、決して毒々しくは描かれていない。この映画は、色鮮やかな色彩感覚が素晴らしく、それに加えて照明も見事だ。メロドラマはこうでなくっちゃというやや大げさな色彩や照明が映画全体に溢れており、映画の印象を決定づけている。これは50年代ハリウッドの素晴らしい仕事と見るべきだろう。ロック・ハドソンはやや強引だが、謙虚さをわきまえていてとても好感が持てる。そして地味なおばさんジェーン・ワイマンが際立っていることは、ヒロインの描き方としてダグラス・サークの演出力を十分に堪能できるものになっている。100点。

絞殺魔

リチャード・フライシャー、1968。1962-64年にかけて起こった「ボストン絞殺魔事件」の映画化。ドキュメンタリーな雰囲気もある映画なのだが、映像の切り口をたくさん持っていて、まず驚かされるのが画面を複数に分割させることだ。これで音楽が入ってこればいかにも60-70年代的なムードも出ようものだが、この映画ではほとんど音楽を使っていない。それゆえに画面分割はポップな演出というありきたりな描写に陥ることがない。そして映画は中盤になって、犯人(実際には冤罪説もあるらしいが)トニー・カーティスが登場する。トニー・カーティスはまもなく逮捕されるのだが、病的な二重人格的者であり、物証もないため自白がないと裁けない。そこで映画はトニー・カーティスとヘンリー・フォンダのぶつかり稽古の様相を呈していくことになる。トニー・カーティスのフラッシュバックを引き出す中で、ヘンリー・フォンダがフラッシュバックに登場したり、鏡まみれの演出なども効果的だ。ただ、誰も悪巧みをしていないギリギリの張り詰めた空気は見ていてしびれた。そしてある瞬間から犯人は無言になる。このときカメラは動く犯人の動作は捉えず顔面のみをひたすら活写する。その強烈な画面から、そのまま映画はエンディングへと向かう。終盤はとても見ごたえがあった。100点。

影の軍隊

ジャン=ピエール・メルヴィル、1969。ナチスドイツ占領下のフランスでのレジスタンスを描いた物語。かなり陰鬱な映画になっている。青を貴重とした冷たい映像と、抑制された演出によって、一気に見せてしまうのはさすがメルヴィルといったところ。人の移動もやたらと多くて画面が止まることがあまりない。ただリノ・ヴァンチュラの存在感のなさはなんなのだろう。原作モノだからそうなってしまうのだろうか。シモーヌ・シニョレが爆発的な存在感だったたため、そのアンバランスさがどうにも気になった。もしかしたらレジスタンスにヒーローなどいないのだという象徴としてのリノ・ヴァンチュラということなのかもしれない。実際のところ、いかにもレジスタンス、いかにもナチ、といったカリカチュア的な描写はこの映画にはほとんど存在しない。レジスタンス映画に発生しやすい、スリルやサスペンスもあまり発動することがない。そして銃撃戦などのアクションの少なさ。この映画は移動に次ぐ移動で成り立っているのだが、それがアクションの軸になっている。すべての人間がやたらと動いている姿は、世界が青いことと同じように映画のテイストを決定づけている。ピエール・ロムによる撮影は素晴らしかったのだが、欲をいえばアンリ・ドカエの撮影でも見たかった。ありえないことだけれど、メルヴィルのファンはついついドカエの画を空想してしまう。95点。

エル・ドラド

ハワード・ホークス、1966。エル・ドラドに戻ったガンマンのジョン・ウェインは、土地の利権をめぐる対立の一方に雇われようとするのだが、旧友の保安官、ロバート・ミッチャムによって反対側につく。そんな状況でのマッチョなアクション西部劇。この映画はとにかくロバート・ミッチャムが素晴らしい。マトモなのは冒頭だけで、あとはアル中か、酒の飲めないアル中なのだが、当然ギリギリ戦えるところをちゃんとキープしていて、ダメな部分もいい部分も見せ場があってかっこいい。それに比べるとジョン・ウェインはおとなしめだ。そうはいっても半身麻痺状態で敵の根城を正面からひとり乗り込んだりして無茶をかなりやる。この映画はジョン・ウェイン、ロバート・ミッチャムが主役で、ジョン・ウェインが拾った若者ジェームズ・カーンとロバート・ミッチャムの部下の爺さんの4人組で戦う。道を隔ててジョン・ウェインとロバート・ミッチャム、ジョン・ウェインとジェームズ・カーンが歩き、それをトラッキングするショットがある。その類似と反復はすばらしく美しかった。ひたすらバックするジョン・ウェインの馬もかなり迫力があった。最近見た『リオ・ブラボー』と比べると、いくぶん娯楽的、大衆的になったような気がする。ユーモアもふんだんに取り入れられている。95点。