シンデレラマン

ロン・ハワード、2005。実話に基づく物語。世界ヘビー級チャンピオン、ジェームス・ブラドックの波乱に満ちた人生が、大恐慌時下のニューヨークの底辺の暮らしと交錯させながら描かれている。そしてそれがこの映画の一番の見所となっている。ブラドックといえばヘビー級史に残る番狂わせを演じたマックス・ベアとのタイトルマッチ、そしてジョー・ルイスがチャンピオンになった試合の相手として有名なボクサーだ。ボクシングシーンに限らずカメラがとても素晴らしい。特にブラドックを演じるラッセル・クロウの主観ショットがいたるところで緊張度を高めている。抑えの効いた人物描写も特筆すべきものだ。ラッセル・クロウの描かれ方は、他のボクシング映画では見たことのないものだった。褒め言葉ではあるのだが、優等生すぎておもしろくないのだ。そのうえ他の登場人物もラッセル・クロウとの対照を見せるどころか類似する人物が多い。この現実的な人物描写によって単なる人間ドラマが拡張され、結果として当時のニューヨークの底辺を際立たせることに成功している。しかしマックス・べアは悪玉として安易に描かれすぎだろう。レニー・ゼルウィガーとのシーンは不要だと感じたし、他にも削れる箇所はあるような気がした。長尺ではなく2時間弱くらいで十分という印象が残った。でもボクシング映画ってなぜか引き込まれてしまう。95点。

ストリート・オブ・クロコダイル

スティーブン・クエイ、ティモシー・クエイ、1986。人形アニメーション作家、クエイ兄弟の代表作。20分の短編作品。どこかに90分の映画だと書いてあったから、あっという間に終わってしまい拍子抜けしてしまった。一般的な短編映画との比較という見方はできなかったのだが、ミュージックビデオなどと比較すれば、圧倒的としかいいようがない世界が構築されている。ストーリーはあってないようなもので、基本的には不条理な世界が展開されていく。しかしとても惹きつけられる。その原因のひとつが、とても映画的であるということだ。窓越しのショットや鏡の使い方は一般的な映画と同様であるし、カッティングの鋭さやスーパークローズアップ、移動カメラの大胆な使い方は、映画技法を逸脱するものではないからこそ一層際立って見える。全体的な印象としては、レシュ・ヤンコフスキの洗練された音楽が非常にわかりやすく映像に添えられており、それもあってか映像も前衛映画的にはならず、とても洗練されたものになっていると感じた。ビザールなカルトムービーというにはスタイリッシュすぎるかなとも思うだが、ビザールとクールのあいだに魅力がぎゅっと詰まっていた。90点。

ルーム

レニー・アブラハムソン、2015。七年間ものあいだ「部屋」に監禁された女性と、そこで生まれ育った息子の脱出劇からの再生ストーリー。この映画には描こうと思えばスリルや感動をたくさんぶち込めるような作品だ。しかしながらそれらは省略されたり機能を果たさなかったりする。息子の脱出はのんびりしているし、母の自殺未遂もショッキングな描き方をしない。二度に渡る母との再会はほとんど省略されているし、極悪だけど凡庸な犯人は、存在をカメラに無視されているようだし、その後については何も語られない。そうしたありきたりのスリルや感動は省かれ、そのかわりに息子の主観ショットが大きな役割を果たしている。被写界深度の浅い窮屈なショットは、「部屋」の窮屈さゆえに必然性が生まれている。そして「世界」に出ると主観ショットは混乱を極めることになる。物語は「部屋」と「世界」、監禁と解放に分かれている。解放後の母ブリー・ラーソンと息子ジェイコブ・トレンブレイの「世界」への適応の対比が見事だ。悩める母と順応性の高い子どもといってしまえばそれまでだが、その描かれ方が素晴らしいのだ。ほほえましい義理の祖父とのコーンフレークのシーンはいいきっかけになっていたし、祖母とのヘアカットのシーンも素敵だった。やや予定調和的で、ずさんな部分もある脚本に感じられたのだが、息子を主体とした映像演出は一貫していた。95点。

紙屋悦子の青春

黒木和雄、2006。太平洋戦争末期の男女の出会いと別れが、回想形式で描かれている。しかしこの回想形式における老いた原田知世と永瀬正敏の夫婦は、回想シーンについて語ることがない。そしてカメラは冒頭の長回しを筆頭に、映画的ではない撮り方でふたりを捉える。そうすることで映画に流れる現在と過去の、時間の感覚がズレて感じられた。回想シーンというよりは時間Aと時間Bというように分離したもののように思えるのだ。しかし当然のことながらAからBまでの時間の流れというものは意識せざるをえないわけで、その表面的には淡白なAからBへの時間の流れがあって、あとは戦争末期のドラマ部分の時間の流れがある。この戦争末期も表面的には淡白なものだ。喜怒哀楽も少なく感情をむき出しにしたりはしないのだ。ほんわか系の方言にリズムをつけて、話される内容もユーモアあふれるものになっている。つまりこの映画は、戦争にまつわる描写をあまりすることのない戦争映画になっているのだ。ロケーションは2つしかない。現代の病院の屋上と、戦争末期の庶民の家だ。この家はプチブルなんじゃないかと思わせるような、生活の困窮をまるで感じさせない家だし、近くに爆弾が投下されることもない。事件らしい事件が起こるわけでもなく、松岡俊介を含めた三人の運命が描かれる。時間の映画としては興味深く見られた。90点。

スラップ・ショット

ジョージ・ロイ・ヒル、1977。マイナーリーグに所属するアイスホッケーチームは、解散の危機にあり負けてばかり。そこでチームはルール無用の乱闘馬鹿騒ぎチームへと生まれ変わり、コーチ兼選手のポール・ニューマンもご満悦というお話。この映画はドタバタお下劣ナンセンスバイオレンスコメディという感じで、スポーツ映画の定石を利用するだけで、はなからスポーツにはなんの興味も示さない。多分スポーツをまったく知らなくても脚本が書けてしまうくらいスポーツ色は希薄だ。かといってリンク外の男たちのドラマが描かれるというわけでもない。壊れかけのチームと同様の、ポール・ニューマンのカップルと、スポーツマンのカップルの関係だけはまともに描いている。この映画の魅力は、ハンセン三兄弟に象徴されるように、端的にバイオレンスやシモネタのバカバカしさにあると思う。それは、スポーツ色を排除したことでよりあからさまに提示される。スケートリンクがあたかもプロレスのリングのように見えるショットがいくつもある。その光景はナンセンスを通り越してアヴァンギャルドにさえ見えた。ただそこに執着する様子はなく描くタッチは軽い。終盤のストリップフィギュアスケートからの優勝パレードへの流れはナンセンスすぎて笑わなくてもいいんだと安心して見られた。全体的にコメディの軽さは出ているものの、物足りなさが残った。90点。

リマスター:ロバート・ジョンソン

ブライアン・オークス、2019。Netflix映画。シリーズ化しているドキュメンタリーシリーズのロバート・ジョンソン編。48分と尺が短いのでサクッと見られる。悪魔に魂を売った男というキャッチーな部分に当然焦点は当たるのだが、アフリカの民間信仰にはよくあることだとか、十字架にまつわる話なんてざらだとか語られていたり、ギターがうまくなったのは、悪魔に魂を売ったからではなく、地元の師匠アイク・ジマーマンに手ほどきを受けたのだという説などが語られる。とかくシンボリックになりがちな存在を一旦地べたまで落とし込もうという監督の意図が感じられた。ギターのどこがどうすごいかについても特に語られない。あとはサン・ハウスとの対照。サン・ハウスはそれほど触れられていないのだが、ドカンと座ってど迫力のサン・ハウスに対して、放浪、女と酒、また放浪みたいなジョンソンの逸話はとらえどころのなさそのままだった。録音された曲が少ないことは知っていたが、現存する写真がたった2枚だとは知らなかった。尺は短いし、これを映画といえるのか、というアカデミー問題はあるものの、ただの人物伝にとどまらない力作ではあった。90点。

海街diary

是枝裕和、2015。前作『そして父になる』の福山雅治が、この映画では形を大きく変えて『そして姉妹になる』という具合に広瀬すずの物語になっている。しかしドラマチックな展開や感情の起伏を抑えて描かれており、見た印象は美しい鎌倉の映画という感じだ。3姉妹+広瀬すずを深く追うこともなく、トラウマ発覚や事件勃発のようなこともない。日々が淡々と綴られている。どのエピソードもほのかに淡く、微笑ましいものだ。実際のところ何も起こらずに映画が終わってしまったという印象すらある。是枝作品を全ては見ていないのだが、物語の温度というのがあって、この映画は常に温度が安定している。広瀬すずの温度だけが違うというところはあるのだが、それも抑制される。広瀬すずには綾瀬はるかとの平行性や類似性が見て取れる。しかしここも強調した描き方をしない。広瀬すずの重さは3姉妹に吸収される。その3姉妹は、樹木希林と大竹しのぶのやり取りなんかを見ていると、断然若いのだ。この現代的な若さ、美しさでもって、鎌倉を描いていることろがこの作品の大きな魅力のひとつだろう。湘南界隈で若き日々を過ごした人たちや、50年代の小津や成瀬を見て過ごしてきた映画好きにとって、鎌倉という風景は特別なものだ。そこに組み込まれた現代の3姉妹の物語。そして不穏な感じのなさ。懐かしさと現代性のあいだをゆらゆらとゆれるているような作品だ。90点。