袋小路

ロマン・ポランスキー、1666。ライオネル・スタンダーの怪演とフランソワーズ・ドルレアックの美しさ。全ての物事が善悪を超えてかなり何でもありの世界に行っちゃってて、正気と狂気の境目がなくなってしまい、ただ、現代人は起用すぎてバカでぶっ飛んでいる。その表現に過ぎないのではないかt0お思った。こんな変な映画を確か渋谷のユーロスペースに見に行った覚えがある。まあこりゃ破壊型破滅型の映画です。ポランスキー結構録画したから見ている。まあこの辺がポランスキーなんじゃないかなあ。偉大なる変態監督。

トゥーヤの結婚

ワン・チュアンアン、2006。この監督の映画は初めて見るけど、映像の大学かなんか出てて第五世代の影響をもろに受けている感じ。とにかくショットの作り方がうまい。特に野外の撮影なんて呆れ返るほど上手だった。自然と人工の耽美的な融合。この映画は内モンゴル自治区が舞台の映画でちょっとしたコメディ。そして愛の映画であり土着の映画。印象に残るのはユー・ナン。アップを多用して、スタイリングも素晴らしかった。もちろん演技というか存在感もあって、思考回路が良く分からないところが本当に良かった。ユー・ナンが離婚したってことになって色んな男がユー・ナンを嫁にしようとそこら中からやってくる。でもユー・ナンは前の夫付きで結婚してくれる人を探してる。そこのユー・ナンと元旦那の関係は描ききれていない。でも考えてみるとこの映画は面白いのだろうか。確かに映画的カタルシスはある。でも演出にも撮影にも緩慢なところがあったし、映画の内容もユー・ナンの旦那探しと、井戸掘りや水汲みや寒さや要は土地だよね。そのバランスは悪いと思う。良くも悪くもチャン・イーモウみたいな画づくりが多い。中国は新しい監督がどんどん出てくるけどこの人は古い人だと思う。

フー・キルド・ナンシー

アラン・G・パーカー、2009。シド・アンド・ナンシーのナンシーはシドが殺したことになっているけど実際かなり疑わしい部分がある。この映画はそれを科学的に解明したりするものではなく、当時の人が当時を語ることにより、ナンシー殺害に限らず色んな場面の時間軸まで追っていくドキュメンタリー版シド・アンド・ナンシーといったところか。最後の方はうとうとしていて記憶が曖昧。僕はシドもナンシーも好きじゃない。でもシドとナンシーはパンクカルチャーの象徴的なもので、まあごくごく一部なんですけれどね。僕はアレックス・コックスの1986年の『シド・アンド・ナンシー』を5万回くらい見て育った。ヒップスターはアレックス・コックスでシド・ビシャスじゃない。ラストシーンは気に入らないけど好きな映画だった。『フー・キルド・ナンシー』の良いところはシドもナンシーも良く描いていないし悪くも描いていないこと。でもそれがまた興味をそそり、伝説を追ってしまうんだけどね。特にヘロインとの関係には重点を置いていた。ハートブレイカーズがNYからロンドンにヘロインを持ち込んでパンクカルチャーに蔓延させたとか、面白いお話も聞けた。パンクカルチャーは音楽的にはNYとロンドンは交流が少ないんだけど、シドの動きなんかを見ていると、NYとロンドンを行ったり来たりしていて面白い。ヘロインというのは生き方の問題になってくる。ヘロインとどう生きていくか。記憶が曖昧だけど、シドがジョニー・サンダースに、どうしたらあんな曲書けるんだと聞いたら、ヘロインをやれって言われたそうな。最近の音楽事情だとヘロインは西海岸ってイメージがあるけど、どうなんだろう。ドン・レッツはヘロインなんていらねえってガンジャ吸いながらDJやってるときに言ったらしいけどカッコいいね。

おっぱいバレー

羽住英一郎、2009。綾瀬はるかファンのための映画。綾瀬はるかに関しては人間として描いているけれど、それ以外。特にバレーボール部員は人間として描かれていない。バレーボール部員でしかない。一人ひとりのキャラクターを造形することによって、映画は生命を持ち、人はそれに感動する。この映画はそういう映画のマジックが全くない。とてもヒドい映画だと思う。金返せ、時間を返せという映画。でも綾瀬はるかふぁんであればある程度楽しめるんじゃないかな。この映画は野外録音をアフレコでやってるんだけど、声優みたいな演技をしていた。これは録音に対する意識の低さの表れだと思う。カメラは何をやっているのだろう。アイドルを撮る人が撮影して綾瀬はるか映画にしたほうが良い。綾瀬はるかは意外な展開があるけれど、他のキャストは表層だけ捉えているから展開を作れない。これは脚本の問題か。あと10分くらい短縮するとちょうど良い長さ。まあとにかくヒドい映画。見るべきではなかったし、娯楽としての質も低いし、こんな映画がたくさん作られている日本というのは相当な映画大国だね。

瞬 またたき

磯村一路、2010。映画女優としての北川景子をチェック。落第。CMなんかで見る彼女は凄く好きなんだが、映画は難しい。しかしこの映画、なかなかいいところもあって、北川景子が歩きまくるんだな。足を引きずって歩いたり、車で送ってくれるのを拒否して歩いたり、なにか象徴的な歩くという行為と、事故の場面のかなり長めのほふく前進とか、とにかく前に進むんだ。生きるとは前に進むことなんだと言っているのかなあ。北川景子のファッション面白くない。

アンストッパブル

トニー・スコット、2009。これは中途半端な作品だなあ。脚本がダメなんだけどクリス・パインの家族の描き方が薄い。クリス・パインとデンゼル・ワシントンのバディ感も薄い。クリス・パインが列車の最後尾で降りて、先頭の操縦席に行ったのは驚いた。今でも分からない。誰でもいいじゃん。もっと前に解決できるでしょ。2つの理由を説明しているけれど、それとこの形との不条理なズレはイタい。これは理屈上合わない脚本だなあ。それで更に問題なのは脚本が凡庸なんだよね。やっぱりこういう映画でもこだわりが感じられると嬉しいんだけどね。ハリウッドはこういう使い捨て娯楽映画を作るから嫌だなあ。僕はそんなスタンスで映画を見ない。キートンの大列車追跡が見たくなった。でもこの映画でフーターズを知ったんだけど、とても行ってみたい。死ぬまでにはアメリカの黒人いっぱいいるフーターズに行きたい。

ゲゲゲの女房

鈴木卓爾、2010。水木しげるの奥さんが書いた小説?の映画化。結婚から貧乏な無名時代を描いている。ドラマ内アクションをひたすら控え、淡々と進める。音に特徴があり、雨音、時計の音、釘の音。あとは歌が良かったね。でも音楽は最悪だった。音に拘るならこだわり尽くさないとダメだよ。まあ音楽は好みの問題もあるけれど。2階の住人と餓死する青年と飯食ったところから展開が変わる。子供が出来る。ここの展開はすごく緊張感があって面白かった。でも元々のストーリーが面白く無いというか、貧乏物語になっちゃっているから面白い企みをするのは難しいね。正直2時間見るのは辛い映画だし、たむらまさきのカメラも、ダイナミックなパンとか見られず、1シーン1カットが多いけれど、それが効果を出していたようにも思えない。ストーリーとカメラは退屈の原因だとも思った。でも日本映画の中じゃすごくユニークで、前衛的でありクラシカルでもある。語る(語らない)ことにすごくこだわりを感じた。吹石一恵良かった。