ウソから始まる恋と仕事の成功術

リッキー・ジャーヴェイス、マシュー・ロビンソン、2009。この映画はウソの概念が存在しない世界でウソを覚えたリッキー・ジャーヴェイスが成功と挫折を味わうコメディ作品。最近は、映画レベルの高い『ハングオーバー』を見たりしたから、この映画は無駄な時間が多すぎるし、脚本は穴だらけだし、カメラは締まりが無いし、カット割も考えられているとは言いがたい。やっぱりコメディ映画なのに一度も笑えなかったし、一度も泣けなかったのは致命的だったね。コメディ映画によくある監督が主演の映画なんだけれど、その良さは生きていなかったかなあ。この映画は日本では劇場未公開だし、DVD化もされていない。まあその程度の作品ということだね。

クリスマス・ストーリー

アルノー・デプレシャン、2008。ドラマにおける最重要課題である家族と愛について、これほどまでに豊潤な表現力を持って語れる映像作家がいるんだなあと感動したね。この映画に出てくる兄弟は、幼くして死んだジョセフという人物の代わりにもなっていなくて、故に他の3人の兄弟はルサンチマンを持つ存在として描かれる。3人の兄弟の配偶者も同じである。しかしドヌーブの死の前兆によってそれぞれのルサンチマンはそれぞれの形で解放されていく。物語は聖なる死の対象がジョセフからドヌーブへ移行するときに日常はドラスティックな変化を生む。そこがこの映画の要所であり、そこを掴んでおくとこの複雑なシナリオはかなり明瞭になると思う。この映画の素晴らしいところはまず日常をスリリングに描く技巧。これはトリュフォーが得意とするものだけれど、デプレシャンはすでにトリュフォーの真似事ではなく自分のものにしている。エリック・ゴーティエの素晴らしい手持ちカメラの緊張は、ジャンプカット的な性急なカッティングによってスリルを生み、そこに音楽が絡みつく瞬間はとてもファンタスティック。役者はデプレシャン組が固める中、アンヌ・コンシニが重要な役回りを演じて見せた。女の弱さと女ならではの強固な意志を併せ持ったスリムな体とお堅い表情はいままでのデプレシャン映画にはいなかった存在だった。でも一番良かったのはキアラ・マストロヤンニだね。何せエロい。このエロさが、この映画を愛の映画、愛欲の映画としても成り立たせているんだなあ。しかしこの映画は群像劇で、台詞をちゃんと読んでいないと細かいところが分からない。それでデプレシャンお得意の、いきなりカメラに向かって独白が前作より多いし、手紙とか、書物とかまで出てくるから多分僕は半分ぐらいしか理解していないと思う。でも150分、時間を忘れて釘付けになったのは久しぶりだなあ。もの凄く疲れた。しかしデプレシャンは寡作なんだけれど、作れば名作ばかりだね。本当に現代映画作家の中でもトップクラスの作家だと思うなあ。

ハングオーバー!パート2

トッド・フィリップス、2011。前作の素晴らしい脚本のアイデアをそのまま踏襲した作品。だから今回は期待に答えてくれる映画になっている。音楽の流れが素晴らしいところがあって、カニエ・ウェストの次にジョニー・キャッシュが流れたときはちょっと感動的だったね。この映画は抱腹絶倒の笑いではなくて、スラップスティックというのかアホな状況に主人公達を導いてそこで大概ザック・ガリフィナーキスがやらかしてくれる。全て第一作の踏襲で、二番煎じもいいところだけれど、その踏襲の緻密さは凄く面白かった。でも第一作にはやっぱかなわないなと思っていたらラストにあの男が出てきてぶったまげた。でもバンコクでやる理由がよく分からなくて、アメリカ人が見たアメリカを映して欲しかったなあ。前作はラスベガスだから撮りやす過ぎたのかも知れないけれど、バンコクの街を撮れていたとは言いがたい。例えば香港なんかを撮らせても凄く表面的になってしまうんだろうなあ。その辺りがこの監督の物足りなさなんだなあ。

『赤の魂』スペインサッカー栄光への100年

サンティアゴ・サンノウ、2009。スペインのサッカー連盟100周年を記念して作られた公認ドキュメンタリー。ユーロ2008で優勝した後に作られ、南アW杯で優勝する前に作られたもの。この映画は完全にスペインサッカー連盟及びスペイン代表のプロパガンダ映画。スペインサッカーの歴史の多くを占めるフランコ軍政の時代にスペイン代表はプロパガンダに使われた。バスクやカタルーニャ人はフランコによる迫害を受けていて、代表には招集されなかったり招集を拒否した選手も多い。そもそもスペインという国自体が国民としては幻想であることはよく知られている。そういったスペイン代表の歴史に影響を及ぼした出来事、フランコと民族。これに一切触れていないんだからこれはドキュメンタリーとは言えないね。完全なプロパガンダ。おとぎ話。そしてエイサギーレの旅の下りは映像も音楽も酷いものだった。そして柱となるインタビュー発言の羅列は何も新しいことをやっていなくて、発言内容も驚くべき発言は皆無。本当に時間の無駄。僕は近代サッカーのエポックメイキングな出来事は、1992年のバルセロナオリンピックのゴールデンエイジによる金メダル。アルフォンソ、キコ、グアルディオラ、ルイス・エンリケ、アベラルドなどを擁し若くて勝てるチームを作った。そして2000年ワールドユース。決勝は日本との対戦だったが、シャビは20歳にして勝者のメンタリティを完全に身につけていた。2008年にそういったメンタリティが結実しユーロを制覇。2年後には少しチーム力が落ちたけれどW杯でも勝った。このドキュメンタリーが面白くないのは、近代のスペインの強くなる過程を詳細に追わなかったこと。1950年の映像と2008年の映像を同列に扱っていて面白くなかったね。この映画を見てスペインはこうして強くなったんだと思ったら、それはプロパガンダのたまものだね。

レフェリー 知られざるサッカーの舞台裏

イヴ・イノン、エリック・カルド、デルフィーヌ・ルエリシー、2009。この映画はスイス、オーストリア共催のユーロ2008を舞台にしたレフェリーのドキュメンタリー。UEFA公認ドキュメンタリーということで、UEFAにとって都合の悪いものは全て排除されていると思った方が良い。主人公は特にいないんだけれど、ハワード・ウェブに一番フォーカスが当てられている。試合中の主審と副審のマイクロフォンでのやりとりを聞けたのは興味深かった。僕は副審はオフサイドやゴールの判定をして、ファールなどを副審にはあまり頼っていないのかと思っていたけれど、主審はかなり副審に聞いている。副審から「8番にイエローカードだ」とか指示までされているのは意外だった。でもピッチ外でのレフェリーに関して、この映画は加熱するポーランドのハワード・ウェブ批判などをクローズアップしているけれど、それはワイドショーみたいなつまらないお話である。ピッチ以外には何も見るべきものが無い映画だったのは非常に残念だったね。まあオフサイド判定をミスしたイングランドの副審の自信の無い顔は面白かった。ちょうどいまユーロ2012が始まっていて、開幕ゲームで開催国ポーランドに有利な誤審があった。それによりギリシャに退場があった。このゲームは悪い意味で審判が目立っていた。主審はカルロス・ベラスコ・カルバジョ。スペイン人のレフェリー。このドキュメンタリー的に見るのであれば、この審判団はたとえスペインがベスト4に残らなくても、消えていく審判団になるんだろうね。映画はこのドキュメンタリーの主役、ハワード・ウェブが誤審にをしながらも素晴らしいジャッジをしたと褒められて終わるという、さすがUEFA公認作品的な内容。その2年後にはW杯南ア大会でハワード・ウェブは決勝の笛を吹くことになる。それへの布石が込められた映画。でもサッカーファンにはハワード・ウェブというのはゲームをコントロールするタイプのレフェリーとして有名で、こっちにPK与えたらそっちにもPK的なレフェリーであることは間違いない。目立たないレフェリーでは無く目立ちすぎるレフェリー。もちろん悪い意味でね。それに最後のシーンはサッカーにテクノロジーを導入することを否定する見解が述べられているけれど、今すでにUEFAはテクノロジーのテストを外注していて、2014ブラジルW杯でお目見えかとも言われている。あとレフェリーに関して思うのはレフェリーに詰め寄ったり、文句を言ったりした時点で絶対イエローカードを出さなければならない。それは現行ルールでもイエローを即座に出せる。ここ20年くらい、サッカー選手はすぐにレフェリーに詰め寄るようになってしまったし、クレームも悪質な言葉で無ければ言いたい放題。何人かで審判に詰め寄ることも当たり前の光景になっている。UEFAも今大会は東欧だからレイシズムには警戒すべしみたいな困難な問題より、目先のクレーマー選手団にオールイエローとか出していかないと、どんどん審判の威厳は失われ、最終的にはピッチに審判は無く、テクノロジーだけでジャッジングが行われてしまいかねないと思うね。審判に向かって走って行く行為はとても野蛮だと思うし、恐怖を感じる。そんな選手は試合から追放してしまえばいい。選手の愚行は90年代くらいから多く見られ、一番食い止めることが出来たのは無論UEFAな訳なんだよね。もう一度サッカーをやり直す機会を今回のユーロでまた失ってしまった。UEFAはレフェリー味方どころか敵なのかもしれないなあ。

ハングオーバー!

トッド・フィリップス、2009。バカ万歳。バカ最高。ヴィヴァ・ラ・バカ!という感じで素晴らしい映画だね。ザック・ガリフィナーキスの素敵さは言うまでも無し。ブラッドリー・クーパーとエド・ヘルムズも素晴らしくて、こういう男バカ映画のトリオ編成は鉄板があるのかもしれない。僕はこういう映画はハリウッドの強みだと思う。カメラの構図とか、被写界深度とか、レンズの使い方とか、そういうものが全く気にならない映画ってハリウッドしか作れないような気がする。それだけエンタテインメント産業が成熟しているし、この映画は本当に吹き出し笑い連発の映画だから、カメラとか気にかけてもいなかった。脚本と映像が凄く近いところで動いていて、話しの展開とバカ男たちに釘付けになってしまった。僕はヴェガスというとMGMグランドでのボクシングの興行のイメージが強いけれど、マイク・タイソンが出てきたから、やっぱりヴェガスはボクシングの聖地なんだなあと実感させられた。タイソンの右フックがザック・ガリフィナーキスに炸裂したのは笑う以外にすることが無かったね。タイソンは登場シーンから音楽が流れてタイソンが歌って、みんなが歌って、最高だった。あとはこの監督の素晴らしいところは、カネと人間のトレードのシーンとか、カジノでヘザー・グラハムを絡めたシーンとか、定番シーンのシーンメイクがかなり上手い。特にカジノのシーンは素晴らしかったね。アメリカさすがって感じの映画だった。

ブラック・スワン

ダーレン・アロノフスキー、2010。この映画は僕は普通のドラマだと思うのだけれど、サスペンスやホラーやスリラー的な音の使い方やCGの利用によって訳分からなくなってしまった。つまりこの映画の演出自体が、ナタリー・ポートマンの中にあるものなのか、ナタリー・ポートマンの外にあるものなのか、微妙な感じでストーリーが進むから、解釈が難しいよね。僕は普通のドラマとして見たから、この映画の中で起こる大概の変な現象はナタリー・ポートマンの中だけの出来事で、精神的錯乱によって起こっていると思う。例えばミラ・クニスはブラック・スワンを完璧にこなす訳だけれど、これはナタリーが出来ないことが出来るというナタリーの鏡であり、ミラ・クルスとナタリー・ポートマンの間で起こるいろんなことは、ナタリー・ポートマンの被害妄想的な幻覚である可能性が非常に高い。偶像なんだよね。そうするとこの映画は精神病を扱ったスリリングなスタイルを持った映画で、最後にナタリー・ポートマンは多分死ぬんだけれど、これが意味するのは、カート・コバーンの死とよく似ている。代替可能な主人公がが代替不可能なものになったような感じがするのはやはり死が一番手っ取り早い。カート・コバーンを死によって伝説になったように、バレエの世界では代役なんていくらでもいる中で、代替不可能と思われる舞台上での死という結果によってナタリー・ポートマンは多分伝説のバレエダンサーとなるのだろう。そこら辺の精神病の扱いや、死の扱いに関してこの映画の脚本は非常にレベルが低い。でも演出は良く出来ている。手持ちカメラでシンメトリーを多用していて、これはナタリーの心的描写を表現している。客はナタリー・ポートマンの視点で物事を見るからかなり不安を煽られる形になる。まあでも最後までナタリーのブラック・スワン的なキャラクターというのは出て来なかった。これはかなりの痛手だったね。僕は脚本以外は頑張っていると思った。脚本は、例えばバレエの練習場と家をナタリー・ポートマンは往復するわけだけれど、その空間移動の中での出来事はオープニングと、オナニーするおっさんだけなんだよね。もうちょっとロケーション撮影をすれば現実味も出たんだろうね。まあ脚本に無いんだからしょうがない。アロノフスキーは脚本に参加していないんだからね。まあこんなにひどい脚本をここまで仕上げたのは素晴らしいと思うなあ。