MAD探偵 7人の容疑者

ジョニー・トー、ワイ・カーファイ、2007。マッドな元刑事が元部下から捜査の協力を求められる。その前に伏線が張ってあるように、犯人はすぐに浮かび上がる疑惑の刑事だ。それ以外に疑惑の人物なんて登場しない。ラストで物語上の見せ場は登場するものの、この映画は物語映画としての体裁をほとんど成していない。物を語るのがマッドだっていうのもあるのだが、物を語ることのプライオリティが低いのだ。映画はひたすらに映画的な遊戯を高レベルな娯楽として提供している。映画形式の原則にのっとり、類似や反復、差異やヴァリエーションといったものを用いて見る者を魅了しまくるのだ。マッドな探偵ラウ・チンワンの目には、人間の内面がヴィジュアル化したり、いない人間が見えたりする。これは特殊能力なのか、ただマッドなだけなのかは曖昧だ。しかしそれによって映画の世界は通常の世界とラウ・チンワンの世界のふたつが存在することになる。このふたつの世界、ふたつのフィクションが交錯する演出が見事なカッティングによって表現されている。この映画のすごさは、全編を通じて映画の持つダイナミズムに満ち溢れているところで、だからダレることも一切なくあっという間に時間が過ぎてしまった。非常に映画らしい映画であり、ふたりの監督の連携も良好であったように見えた。95点。

リバーズ・エッジ

行定勲、2017。二階堂ふみと吉沢亮を中心に、若者たちの歪んだ青春群像が性や死をモチーフにして描かれている。原作は伝説的な岡崎京子の同名コミック。コミックは読んでいない。この映画は1990年代前半を舞台にしていて、衣装などかなり古くさく感じるのだが、映画そのものもとても古くさく感じる。それが意図したものなのか、行定勲が単に古くさい映画監督なのかよくわからない。で、問題なのは時代性うんぬんは関係なくて、映画を構成する要素に面白味がほとんど感じられなかったことだ。カメラポジションやカメラワークには疑問だらけだったし、クローズアップが非常に多く、その場の状況がよく飲み込めない。スタンダードサイズの画面と同様に寄りの画を多くすることで、閉塞感を演出しているように見えるのだが、その効果より弊害が大きくなっている。インタビューシーンの作為的な無作為さは見ていて居心地が悪かったし、そのシーンで一旦停止することで、映画の流れも止まってしまっていた。映画全体を通して撮影と、あと脚本に関しては納得できるものではなかった。重要であるはずの風景描写もインパクトに欠けていた。この映画は「リバーズ・エッジ」の映画化という価値があり、また「二階堂ふみが脱いでいる」という価値がある。でもそれ以上の価値をあまり見い出せない。演者はそれなりによかっただけにもったいない作品となってしまった。90点。

新学期・操行ゼロ

ジャン・ヴィゴ、1933。寄宿舎の生徒たちの反乱を描いたジャン・ヴィゴの代表作。この映画はコメディタッチで描かれているのだが、反抗的な映画ということで劇場公開はわずか1日で終了。その後12年間公開禁止となった作品だ。そのあいだにネガが紛失してシーンが丸ごとなくなったりしている。この映画を見ると自分がいかに映画の文法にがんじがらめになっていたかを痛感する。現代の一般的な映画を見ていると、この映画のすごさはより鮮明にわかるのではないかと思う。まずサイレントの影響を色濃く残しているショットの強度に驚かされる。子どもたちを子ども目線ではなく上から撮り、ジャンプカットを含む唐突なショットがあり、ドリーの素晴らしさは驚嘆に値する。とにかくショットが素晴らしく、その構成がまた素晴らしいのだ。物語は悪い大人と無邪気な子どもという構図なのだが、コメディタッチなこともあり対立の構図は鮮明にはならない。そのかわりに鮮明となるのが子どもたちの反乱であり反乱のはじまりである。有名なスローモーションのシーン。枕の羽毛が舞うなか行進する子どもたち。宗教や大人という権威的なものから自由である子どもたちの無邪気な反乱はただただ美しい。それを捉えてしまうジャン・ヴィゴの映画作家としての偉大さ。この映画にはストーリーといえるものがあまりない。だからこそ映画のあるべき姿が浮き彫りになっており、その自由な姿は子どもたちの姿とリンクするのである。100点。

ボルベール <帰郷>

ペドロ・アルモドバル、2006。冒頭、墓を掃除する女たちが登場する。東風が強く吹いており、ドリーするカメラがそれらを映していく。この映画は導入部で近親相姦絡みの殺人事件モノというイメージを鮮烈に見せつけておきながら、一旦それを保留する。その保留のさせ方が見事だ。幽霊モノのようなユーモラスさのある展開を見せたり、末期がんの友人の物語があったり、死体置き場のレストラン営業ではペネロペの魅力やアルモドバルらしい色使いが満載だったりする。物語の幹の部分であるはずの殺人事件は、実際に幹の部分にはなるのだが、枝葉となる物語がそれぞれ幹のようにぶっといのだ。それらが絡み合いながら物語は進んでいくのだが、冒頭の掃除する女たちや東風やカメラワークが示す通り、映画は女たちの動的な魅力に満ち溢れたものになっている。男であれば頭を抱え、身動きが取れなくなりそうなところ、女たちは動きまくる。移動に次ぐ移動が映画に活力を与え、絶品の演技を見せるペネロペが加速度的に映画に動的な魅力をもたらしていく。そして終盤になり平行して描かれていた母と子の物語が、複雑な類似性を見せることになる。こうしたことが、ただ会話のみによって語られていることは注目に値する。フラッシュバックもなければ、秘密の話を盗み聞きするようなスリリングな演出もない。だからこそレストランで歌うペネロペは鮮烈に記憶され、ラストの台詞もこころに響くのだろう。100点。

リマスター:サム・クック

ケリー・ドゥエイン・デ・ラ・ヴェガ、2019。Netflix映画。サム・クックの生涯が、当時の彼を知る人たちのインタビューを中心に、当時の写真や映像、それに本人のインタビュー音声を交えながら語られていく。サム・クックが内面を吐露する映像などはなく、映画も彼の人間性や芸術性に迫るというよりは、時代の激流のなかにいるサム・クックの生き方を描くことで浮かび上がってくる彼の姿をとらえようとしているように見える。時代の激流とは、人種差別であり、公民権運動であり、黒人のパブリックイメージを押し付けるレコード業界だったりする。それにしても、あのやさしい歌声からは想像もつかないほど強い精神を持って戦っていたであろうサム・クックには感銘を受けた。その姿勢が幸か不幸か公民権運動という激流のメインアクトのひとりとみなされてしまう。本人はひるむ様子もないのだが、レコード会社からは都合の悪い黒人とみなされてしまう。で、独立して自らが社長を務める会社を立ち上げるも、そこにあらわれるのが悪名高きアラン・クレイン。そして疑惑の射殺事件が起こる。しかし事件はLAではよくある黒人の射殺事件として片付けられる。彼が歌うようにアメリカに、黒人に、変化のときは訪れたのだろうか。事件の陰謀論に新展開を期待していたからそこは残念。90点。

マッキントッシュの男

ジョン・ヒューストン、1973。この映画、主人公のポール・ニューマンが何者なのか、イマイチわからない。英国の諜報部員ということなると思うのだが、それを強調するシーンは登場しない。このイマイチわからない登場人物というのが、この映画にはたくさん登場する。もちろんスパイアクション映画なのだから謎は大いに歓迎するのだが、わかりにくい脚本の結果としての謎の人物と、キャラクタライズされた謎の人物が、結構曖昧になってしまっていてかなり混乱した。そんな謎だらけの映画なのだが、意外なほどおもしろかった。息つく暇を与えないタイトな演出は素晴らしかったし、特にシーン割は鮮やかだった。混沌とした映画のなか、その中心軸となるポール・ニューマンとドミニク・サンダがブレていなかったことで、見ているほうもブレずにいられた。ロバート・ゼメキスの『マリアンヌ』は、この映画を下敷きにしていると思う。いくつかある共通点のなかでは、ドミニク・サンダとマリオン・コティヤールに見られる銃撃のかっこよさがあって、両者ともこころの内に抱えるものがあるのだが、それよりも女が銃をぶっ放す演出のかっこよさにしびれた。冷戦の影響もあり60年代以降スパイアクション映画はかなり量産されている。この映画はそんな大量の作品群に埋もれてしまうような映画なのかもしれない。でもそれにしちゃあおもしろすぎると思う。90点。

サスペリア

ダリオ・アルジェント、1977。ドイツのバレエ名門校に入学したアメリカ娘ジェシカ・ハーパーを襲う恐怖を描いたホラー映画。冒頭の空港到着の演出はキレがあって素晴らしい。ありえない赤色の使い方、カットで音も一緒にカットして切り返したり、突然ディテール描写をしたり、扉の外の嵐も効果的だ。そしてバレエ学校に到着したあとの最初の殺人へといたるくだり。それを見るジェシカ・ハーパー。これが序盤で、その後は中だるみがあるとはいえ、アルジェントに中だるみはつきもののような気もする。あとホラーなのに牧歌的なところとか。そんな中カメラはおもしろいことをやっている。ヒッチコック的な最大から最小へのショットの切り替えや、ありえないカメラポジションやアングルショットが数多く見られる。そしてなんといってもこの映画は照明と音の映画といえるだろう。照明は光源なんてお構いなしに赤や緑で画面に映るものを照らしまくる。そして音は盲目のピアニストが象徴するように見えないものとして効果的に使われている。校長のいびきのくだりあたりから、現実の音と効果音の区別が曖昧になってくるのもおもしろい。終盤はジェシカ・ハーパーが部屋を横切るときの奇妙なパンや、それまで目立たなかった黄色の強調も効果的だった。カメラは基本的にはジェシカ・ハーパーに寄り添うのだが、例外的に殺される奴にはついていく、というのが微笑ましかった。95点。